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Movie Review 2000・5月11日(THU.)

エイミー

 エイミーは、ロック・スターの父親が不慮の死を遂げて以降、耳が聞こえず、喋ることも出来ず。母親と田舎で暮らしていたのが、児童福祉局の役人から逃れるために、ホワイト・トラッシュな工場町へと引っ越しだ。コミュニケーション・ブレイクダウンなエイミーだが、向かいに住むロック好きのボンクラの歌にいつしか反応するように…、と、ネタをバラすが、エイミーは歌ならば人とコミュニケーションを取ることができるのであった。

 この映画が、おかしい、というか、変テコなのは、「歌でしかコミュニケートできない」というのをギャグにしており、「ミュージカル映画」批判の映画となっていることである。

 ミュージカル映画とは、登場人物がいきなり歌い出す狂気の世界である。全編・全セリフが歌で語られる『シェルブールの雨傘』などは、ああ、悲しいなあ、と感動する一方、「歌で会話する人々が住む奇妙な町の物語」でもある。しかし、なぜ、彼らが歌で会話しているのか? という問題に触れられることはない。『雨に唄えば』鑑賞中に、「なんで、あの人、雨ん中で唄ってはるの?」と疑問を発することは、無粋なこととされている。

 この映画は、父親の死がトラウマになって、歌という言語しか認識できない少女を設定することにより、「ミュージカル映画」というジャンルをコケにしている。町の住人が恥ずかしがりながら歌でもって話しかけ、エイミーが歌で答える瞬間、ミュージカル映画の不気味さ・アホらしさに我々は思い当たるのだ。エイミーは、迷子になっちゃうのだが、捜索隊が組織される。警官たちが「エイミ〜、出ておいで〜」と合唱するギャグは秀逸である。

 少女が不幸な目に会う「子ども感動モノ」(別名:児童虐待モノ)かとワクワクしたが、これ、オーストラリア映画であり、町の住人が貧乏人ぞろいで、ブリット・ムーヴィー風のふざけた味わいもあり、これはこれで良い。

 父親のロックスターが、オーストラリアらしく、ダサさ全開。アホアホなロックナンバーの数々も見どころ。主題歌は「公文式」のテレヴィ CM に使用されている。母親を演じるのは『ほんとうのジャクリーヌ・ドゥ・プレ』でお姉さんの方を演じ、アカデミー賞にもノミネートされたレイチェル・グリフィス。この人のおかげで、作品の格が上がっている。なかなか頼りになる女優さんである。オススメ。

BABA Original: 2000-May-11;

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