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Movie Review 2000・3月9日(THU.)

ゴースト・ドッグ

 ジム・ジャームッシュの新作。「The Way Of Samurai」―「武士道」と副題が付く。すなわち日本人が失って久しい(どこかには存在しているだろうが)「武士道」を描く。

 主人公は「ゴースト・ドッグ」と名乗る日本オタクの殺し屋だ。想像するに本好き。たまたま出会った「武士道と云は、死ぬ事と見付たり」との書き出しで知られる『葉隠』に強烈に感銘を受け、ヒップホップ好きの「サムライ」として生きることを決意する。「すべてを熟知」などというふざけた文字の入った T シャツを着て、チンピラにフクロにされていたのを助けてくれた、イタリア・マフィアのオヤジを勝手に「主君」と仰ぎ、マフィアのヒットマンとして忠義を尽くすことを決意する。

「主君」なしのサムライは存在しえない。「主君」を得て、ゴースト・ドッグはワザをコツコツ磨く。屋上でいい汗かいてすっかりサムライ気分。任務遂行時に盗む車も高級車に決まってる。なぜなら「いいサムライ」は「いい馬」に乗るものなのだ。サイレンサー付きの拳銃も、血を払うがごとくヒュンヒュン降った後ホルスターに収むるべし。オレってカッコ良過ぎ!

 ゴースト・ドッグに連絡を取るのは伝書鳩。伝書鳩は、鳩の帰巣本能を利用する。伝書鳩は常に巣に帰るのみの一方通行。すなわち、マフィアのアジトに現れる鳩は、ゴースト・ドッグがわざわざ届けているのである。アホです。また、ゴースト・ドッグは動物好きでもあるのだ。熊を撃つヤツも許さねえぜ!

 鳩を殺されたものだから、ゴースト・ドッグはマフィアを皆殺し。でも、それは主君に迷惑をかけたことになるから、切腹、といいたいところだが、腹を切るのは痛そうだから、まあ、拳銃で撃たれとこうか。いかに日本カブレといえどもアメリカ人だから、『真昼の決闘』がよかろう。主君に討たれるなら我が人生に悔いなし。死ぬ間際に一言残して笑って死ぬべし。夢想していた「カッコいい生き(死に)方」の完成だ。

 アメリカ資本主義社会で、自らの行動を律するストイックな生き方は、至難の技。ドン・キホーテ的である。ここにキーワードのごとく登場する『羅生門』の意味が見える。本人は大まじめでスーパークールのつもりなのだが、視点を変えれば抱腹絶倒、風車にたち向かうがごとき阿呆ぶり。しかし、一方、資本主義のルールに則り、欲望を肥大させているヤツらも、ゴースト・ドッグから見ればせせら笑われる存在なのだ。ゴースト・ドッグのようにサムライ気取りのヤツ、また、ビルの屋上で自作の船を造るヤツ、一見ただのバカではあるが、その内面に立ち入れば、そこには彼らなりの思想と論理が貫かれている。

 日本でも、多数者と異なる価値観を持ち行動する者は「オタク」「変わり者」「天の邪鬼」「田舎者」と呼ばれて排除の対象となる傾向がある。「オタク」はどんどん自閉していく。他者と価値観を闘わせることなく、消えゆくのみだ。

 ゴースト・ドッグが皆殺しにするイタリア・マフィアもまた、時流に乗れないジジイどもだ。家賃を三ヶ月滞納して大家に文句を言われる始末。アメリカ社会の「落ちこぼれ」同士が争い、自滅していくのみで、「多数者」にとっては、痛くも痒くもない存在だ。インデペンデントで作り続けるジャームッシュの、「あんたらはあんたらで勝手にやってくれ、オレは好きに撮る!」って態度の反映かもしれない。

 これはオパール店主が言うようにこの映画の弱点であるし、なんか「失われゆく古き良き価値観を愛情を持って描いている」なんちゅうワケのわからん(と、ボクが思う)見方をされる根拠でもあろう。失われていく価値観、ってのは良くないから消えていくのぢゃないか?(違いますかね?)

 武士道精神のアメリカでの再生「ゴースト・ドッグ」編は、オタクに走り過ぎた黒人の自滅に終わった。しかし、『葉隠』は読みつがれ、次の再生の機会をコッソリうかがっていることを暗示して映画は終わる。

 メチャクチャカッコよく、同時に救いようのない阿呆であるゴースト・ドッグをフォレスト・ウィテカーが好演。一世一代の当たり役かも。ジャームッシュはウィテカーを想定して脚本を書いたそうで、この役を彼以外で演じられるのは笑福亭鶴瓶しか考えられないであろう。

 また、名手ロビー・ミューラーの、黒味に色彩がボッと浮かぶような撮影が最高。音楽も最高。なんだかんだ言ってもジャームッシュ最高!

BABA Original: 2000-Mar-09;

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