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Movie Review 2000・1月14日(FRI.)

海の上のピアニスト

『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督の新作。船の上で一生を過ごしたピアニストの物語。そんなヤツいるわけないぢゃん! って感じだが、物語は「船を降りたトランペッター」マックスの回想で進められるので、全部マックスの妄想と片づけることも可能。要はおとぎ話ってことです。

 おとぎ話ならば、いかなる教訓・主張・メッセージがこめられているのだろうか? 舞台は、イタリアからアメリカに大量の移民を運ぶ定期便。移民は、自分の生まれ育った故郷を捨てアメリカへと渡る。ピアニストは、移民たちを見送り続ける。ネタバレで恐縮だが、ピアニストは結局、船から一歩も外に出ない。『ニュー・シネマ・パラダイス』のトトが、映画館を捨て映画監督として成功したのと対照的に、ピアニストは船の上という狭い世界でのみ「天才」とされ、外界にコミットすることを断念する。「ジャズの生みの親」を標榜する動物じみたオッサンがピアノ対決を挑んだりするが、船の外では誰も「海の上のピアニスト」の存在を知らない。ピアニストは、世界に何の影響も与えなかった「天才」なのだ。

 ピアニストはただただピアノを弾き続ける。なぜ? ピアニストによると、外の世界=無限の鍵盤ではピアノを弾くことができない、だから自分は船に留まる、ということらしい。ボクなんかは、船の外にも色々楽しいことが山ほどあるのにねえ、ディズニーランドとか。子どものうちに船から降ろさなかったのがアカンのぢゃないか? そういや、赤ん坊を拾った石炭炊きのオッサンって水野晴郎に似てたなあ、…ってこれは関係ないか。限定された世界でトコトン自分の好きなコトを追及すれば、それはそれで幸せなんぢゃない? という、なんかぁ、オタク万歳! みたいなメッセージが見え隠れする。

 しかし、ピアニストが 1900 年生まれってんで、「1900 年」という名を持つことを考慮に入れると、「限定された世界でのみ『天才』を発揮する」ってのは 2000 年代には通用しないぜ! ってことだろう。船とともに爆殺されちゃうし。オタク的感性(=職人的感性?)は、ソレはソレとして良いんだけれど、狭い世界そのものの寿命が尽きれば、ハイ、それまでよ、ってことなのだ。ドーンと海を渡って新世界に飛びこまなくっちゃダメだぜ、ってことなんだな。そう、我々(って誰?)は、いちばん最初に「アメリカ〜〜!」と叫ぶヤツを目指すべきなのだ。

 …という世迷い言はおいといて、1900 〜 1940 年代の物語に相応しく語り口も往年のハリウッド映画的である。CG が多用されているが、ワザとしょぼい仕上げにしている風である。例えばニューヨークの遠景などいかにもマットペインティング風のレトロな雰囲気で、当時の映画の持つ味わいを再現している。トランペット吹きの回想で物語が進行するのも昔風。一応、割られたレコード原盤という謎でひっぱるが、『市民ケーン』、『サンセット大通り』なんかと比べると謎が弱い。別にいいんだけどね。

 そうは言ってもエンニオ・モリコーネの音楽がとにかくビューティフルだ。ピアノ対決や、ピアニストが生まれて初めてチンポをピクッとさせるシーンなど、やたらめったら盛り上がるので見どころ充分。ティム・ロスが気合い充分でガンガンピアノを弾きまくるのも痛快だ。語り手マックス演じるプルート・テイラー・ヴァンスも、『御法度』の崔洋一に匹敵する「眼を無闇に泳がせる」演技が最高。

 子ども好きなボク(本当)としては前半、ピアニストの子ども時代にもっと時間を割いて欲しいところだが、実はイタリア公開版は 2 時間 40 分あり、日本公開版より約 35 分長い。どうも子ども時代のエピソードがいくつかカットされているらしい。日本人ってのはガマン強いのになんで長い版を公開しないのだ? 『ニュー・シネマ・パラダイス』みたくヒットしたらば何年ヵ後に「完全版」とかで公開しようってコトだろうが、なんか腹立つ。

 ともかく、イオンシネマ久御山まで見に行くのなら『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の 1000 万倍オススメ。京都朝日シネマに行くのはあまりオススメしません。

BABA Original: 2000-Jan-14;

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