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Movie Review 2000・8月20日(SUN.)

リプリー

『太陽がいっぱい』(1960)と同じパトリシア・ハイスミスの原作を、『イングリッシュ・ペイシェント』のアンソニー・ミンゲラが監督。いわゆる“リメイク”ではなく、同じ原作を映画化したってところで、別のおもしろさを持つ映画に仕上がっており、当初漏れ聞いた「マット・デイモンで『太陽がいっぱい』のリメイク? なんだかなー(メチャクチャ楽しみ!)」感を払拭する出来である。

 別の映画といっても、基本的なストーリーは当然同じ。両者を比べてみるのは時代の違いを反映しておもしろかろう。まずゲイセクシャルの描き方が劇的に変化している。『太陽がいっぱい』においては、ゲイセクシャル・テイストは巧妙に隠蔽されており、いわれてみればゲイっぽいなあ、って感じ。『リプリー』にあっては主人公のリプリーは公然とゲイセクシャルであることが語られる。が、単に、お話の一要素であって、別にどうでも良いって扱いだ。

 またフランスで映画化された『太陽がいっぱい』と異なり、今回はリプリーと金持ちの御曹司ディッキーがともにアメリカ出身、「イタリアのアメリカ人」であるという面が強調されており、アメリカ人のヨーロッパに対するコンプレックスがムキムキに描かれているのもおもしろい。

 して、今回の再映画化の眼目は何か、というと「嘘をつくこと」の倫理を問うている、ということだ。「もし、あのとき、ジャケットを借りてなかったら…」というリプリーの独白で物語は始まる。ピアノ伴奏のバイトで、校章入りのジャケットを借りたため、プリンストン大学出身と間違われ、つい話をあわせてしまったのが運のつき、以降、リプリーはひとつの嘘を隠蔽するためにじゃんじゃん嘘をつきまくる。原題の「才能あるリプリー」がいう才能とは「嘘をつくこと」に他ならない。

 全編に流れるはチャーリー・パーカーらのブルーノート・ジャズ。「嘘をつく」とは、さながらジャズの即興演奏のごとく、演者のただならぬ才能なくして成り立たないものなのだ。リプリーの嘘は、自分を上の階級に見せたいというスノビズムの欲求にもとづくものであり、基調として A ・ミンゲラがスノッブな方々が愛好する音楽=ジャズを選択したのは正しい。あ、ジャズ好きの人、怒らないでください。

 通常の道徳話であれば、リプリーは社会によって罰せられるのだろう。しかし彼は一貫して嘘をつきつづけ、ありのままの自分を愛してくれる恋人さえも殺害し、即興の人生を送る決意を固める。ただ、嘘をつくことのみに才能を発揮できる人間が、嘘をつきつづけることを誰が責められよう。うーむ。

 てなわけで、リプリーの嘘の数々が気色よく、金持ちほどあっさり騙されるのが痛快。演じるマット・デイモンもなかなかハマリ役だ。2 時間 20 分はちぃと長く、『太陽がいっぱい』のタイトさが懐かしいが、まあ、しゃあない。金持ちディッキーを演じる『エグジステンズ』のジュード・ロウのジャズ馬鹿演技も笑えるし、金持ちファッションもなかなかカッコいいので、オススメだ。

BABA Original: 2000-Aug-20;

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