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2008年10月25日(Sat)

SiとNoと イタリア語

日本から送ってもらった、とある漫画の全巻セットを読み漁っている昨今です。ということで今日は「分からない」と言うことの重要性とその難しさについて。


数週間前、私が住んでいるところから近くの町で自転車ロードの世界選手権が開催されたので観戦に行って来ました。レースは抜群☆☆☆☆☆に面白かったのですが、そこで考えさせられる出来事がありました。

自転車のロード競技とは、簡単に言ってしまえば自転車に乗って行うマラソン競技のようなスポーツです。一般の公道を延々と、時には300km近くも自転車で走り、最後に先頭でゴールラインを超えた選手が勝利者となります。起点から終点までを一方向に走るレースもありますが、周回コースが設定される場合もあります。今回は後者の周回レースで、選手たちがヒューンと通り過ぎてから次の周回にもう一度やってくるまで30分くらいの空き時間が存在していました。秋晴れの上天気の下、私とKKちゃんはレース観戦をしながらブラブラしていたわけです。

ふいに、イタリア人の陽気な二人組に、
「もし、日本人ですか? イタリア語は話せます?」
と尋ねられました。

「話せますのよさ」
と答えると、

「おお、それはいい。実は日本人の友達がこのレースを見に来ていて会いたいんだけど、この電話で我々が今どこにいるのか日本語で説明して、彼がいまどこにいるのか日本語で訊いてくれないか?」
というのです。

私はキリッと真顔になって、
「きっかり一億円いただこう。払えますか?」
と言い放ちました。

ブラックジャックの読み過ぎだ思われた方は図星です。実際には「お安いご用でごんす」と快諾し、その日本人に電話をかけてあーだコーダと説明して差し上げたのです。

「ありがとう助かったよ。彼はフィレンツェに住んでるんだけど、今日はこっちに出てきていて、レースを一緒に見るつもりなんだ」

「フィレンツェから。へえ。彼、イタリア語はわからないの?」

「いや、一応は話せるよ。でも、いつも何でもかんでも 『Si、Si、Si(はい分かった分かった)』 って言うんだ。でも結局、本当は分かっていないんだ。だから日本語で会話して欲しかったんだよ」

「今のは日本語だからバッチリ分かったみたい。20分後にあそこの角に来るんですって。会えるといいね!」

こう言って別れながら私は、彼らが最後に言った “でも結局、本当は分かっていない” について考えました。

手始めに私は、
「分かってないのに分かったフリをすると、こういう風に最後に恥をかく羽目になるし、手間もかかることになる。分からないのなら堂々と 『わかりません』 と言わないといけないねえ」
と、自戒しつつ思ったわけです。しかし、次のことも脳裏に浮かんできました。

…続きは次回に。

P1060367.jpgフィレンツェのとあるBARにて

Text by power

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