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 Diary 1999・10月22日(FRI.)

ソウルサバイバーズ再び

 店に向かうと、馬に乗って着物を着た人達がゾロゾロと河原町通りを行進していて、道路脇には人々が鈴なりだった。「時代祭」である。しかしそんなもの私には何の関係もない。店の向かいの銀行に両替にいくときに、道路が渡れなくて遠回りしなければならないのが、多少鬱っとうしいぐらいだ。今日はなんといってもコラージュにてノーザンソウルと 6T'S R & B のイベント「ソウルサバイバーズ」の 2 回目があるのだ。キタアキくんもイワブチくんとともに神戸から「ノーザンヴォイス!!」として出張してくる。本日の「お祭り」はこっちのほうですよ。

 仕事をヒロキくんとタイラに交代して 12 時過ぎにコラージュに向かう。入り口の所でマイちゃんと挨拶して中に入るとそこに流れているのは、R & B だった。いやもちろん私は R & B も大好きだけどね。一応もとモッドなもんで。久しぶりに聴くゴリゴリのモッド R & B の数々は気持ち良かった。

 面白かったのは、ヤマダくんがリチャード・バーンズの本「Mods!」の 42 ページに載っているモッズ御用達のシングルを次々にかけていって、それにあわせて一部の子達がバード、モンキー、マッシュポテト、ワツシ、と様々なダンスを披露したこと。ワツシなんて初めてみました。一体どこでそんなもの覚えるのか?若い子の情熱は恐るべしだ。

 しかし何といっても素晴しかったのはキタアキくんだ。最初のうちは Ronne McNeir 「Sitting In My Class」などのシブメのノーザンソウルをかけていたが、だんだんと「いわゆる 60 年代のノーザンソウル」からはずしていって時代を上っていき、最後は 80 年代までたどりつくというレコードのかけかたをしたのだ。もちろんそのどの曲にもノーザンテイストが充満していた。私はこういう DJ を待っていたのだ! ノーザンソウルは 60 年代後半の数年間で終わってしまったのではない。「ノーザンソウル的なもの」はその後も 70 年代のフィリーやディスコ、80 年代のハウス、ガラージュ、からアシッドジャズあたりに端を発する UK ソウルあたりなどに脈々と生き残っている。私が黒人音楽を聴いてきて常に魅かれてきたのはこの「ノーザンソウル的なもの」だった。ノーザンソウルを 60 年代後半の数年間に完成されたあのスタイルに限定してしまうと、どうしてもマニア的になってしまうし、閉鎖的になってしまう。そして実際そういった閉鎖的な傾向が現在の日本のノーザンシーンにあるのは否めない事実だ。それをキタアキくんは大きく開こうとしている。これは素晴しいことだ。キタアキくんによると、今回がその第一歩らしい。その偉大なる瞬間に立ち合えたことを私もトモコも幸せに思う。頑張れキタアキくん!

 今回は結局朝まで踊りあかしてしまった。ラスト 30 分のクラタニくんのプレイも良かった。ノーザンソウルを堪能しました。これで明日仕事がなければ最高だぜ! イエー!

小川顕太郎 Original:2000-Oct-24;