京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

HOME > diary > 99 > 1209
 Diary 1999・12月9日(THU.)

1日静養

 熱も下がらないことから一日家で静養することにする。最近なぜだか慌ただしかったので、今から明日までとりあえず何もすることなし! となれば、すごく贅沢な気分になる。

 なにをするか? ってやっぱり読書だろうなあ。本は時間がなくてなかなか読めないからね。買ったり借りたりする一方。こういう機会を利用せねばいつ読めるというのか。それでは何を読むか? 微熱のせいでなんとなくダルく、あまり「重い」内容の本は読みたくない。となればミステリーかな。

 実をいうと私はそれほどミステリーが好きではない。あまり楽しめないのだ。それでも興味はある。日本の最近のミステリーに関していえば、島田荘司、京極夏彦の二人は結構好きで、大半の作品を読んでいる。先日「ユリイカ」がミステリー特集を出し、私の友人の可能涼介がインタビュアーとして載っていたからではないが、とりあえず買ってパラパラと流し読みをしていた事も手伝ってか、気分はミステリー。で、麻耶雄嵩のデビュー作「翼ある闇」を読むことにする。

 麻耶雄嵩はいわゆる「新本格派」の第二世代にあたる人物で京大ミステリー研出身、私と同い年の 69 年生まれ、このデビュー作は 91 年の発表である。彼の第 2 作「夏と冬の奏鳴曲」が出たときに可能涼介が「傑作だから是非とも読め!」と薦めてくれたのだが、とりあえずデビュー作である本作を古本屋で買って、そのまま本棚の肥やしとなっていたというわけだ。とにかく読む。

 う〜ん、なんだかなあ。別にトリックうんぬんはどうでもいいんだけれど、文章がねえ…。まあ「新本格派」は文章力がない、というのは定説なんだけれども、これは酷すぎないか? だって文章力以前に言葉の使い方そのものの間違いが多すぎる。「やぶさか」とか「蒙を啓く」とかは完全に間違った使い方をしているし、超常現象の事を、「神の手」が介入した…、とか書くのもどうかと思うぞ。陳腐な表現が多発するのも閉口もんだし、虚仮威し的に難しい漢字を並べたあとに「カルチャーショックをうけた」などの日本語英語をいれるのも不細工だ。

 もちろん「新本格」はトリッキーさ重視であり、若さ故の文章力のなさには多少目をつむってでも、新しい才能をひろいあげる事のほうを優先する、というのは分かる。それにしても最低限の文章力はいると思うのだが。私はあの名作の誉れ高い竹本健治の「ハコの中の失楽」でさえ、文章力のなさ故にそれほど評価していない人間なので、文章力・内容ともに「ハコ」に較べると明らかに劣るこの作品を楽しめるわけがない、といえようか。確かに一カ所は笑える所があったけどね。

 やはりアンチミステリーということなら中井英夫の「虚無への供物」でしょう。これは大傑作。内容、文体ともに完璧な作品だ。結局ミステリーがそれほど好きではない私としては、ミステリーというより「作品」として評価してしまうのだろう。むうう、読むかなあ、「夏と冬の奏鳴曲」。

 時間があまったのでビデオまで観ちゃう。ビデオもたまる一方で、全く観ないからねえ。アントニオーニの「太陽はひとりぼっち」。これまたアントニオーニもあまり好きじゃないんだけど、モニカ・ビッティが好きなので観る。アントニオーニの作品の中では楽しめた方。というか結構好きかも。アントニオーニってファッションが分かってるわ。ファッションの持つ軽薄な魅力が。などと偉そうなことをいいながら観る。

 あああ、今日は有意義に過ごした、たまには風邪もいいもんだ、とつぶやきながらベッドに入るが、咳が止まらず寝られない。苦しい。やっぱ風邪は早く治ってほしいです。

小川顕太郎 Original:2000-Dec-10;