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2015年09月14日(Mon)

祖母逝く/違和感/ナイトクローラー etc

8月31日〜9月7日

祖母逝く

8月31日の夜に、祖母が亡くなりました。101歳と2ヶ月でした。

はっきり言ってここ一月ほど、祖母は食事を摂ることができなくなってゐて、点滴で栄養を摂ってゐる状態でした。嚥下する筋肉がダメになって、食べ物はおろか水でさへ呑み込む事ができなくなってゐたのです。まぁ、人間、動けなくなったり食べる事ができなくなったら(普通は)生きてられない訳なので、あまり長くはないだらう、とは言はれてゐました。むろん、今は「胃瘻」といふ方法もあります。身体に穴を開けて直接チューブで胃に栄養を送り込む方法です。これをすると、あと何年かは寿命が伸びる・・・らしいのですが、本人が延命治療を望んでゐなかったこともあり、その方法はとらなかった様です。家で死にたい、といふ希望もあったみたいだし。
祖母は身体こそほとんど動かせなかったのですが、意識はハッキリしてゐました。私とトモコも「お婆ちゃん危ないかも・・・」と言はれて2回ほど会ひに行きましたが、どちらの時も意識はしっかりしてゐて、会話ができました。
トモコが「はっ!」とマツヤマさん特製のアロマを振りかけたり、タロットカードで身体を擦ったりすると、「いい匂ひ」「気持ちいい」「トモコさんオシャレ」などと祖母は答へてゐました。さういへば祖母は、食とオシャレには最後まで関心があった様です。「お婆ちゃん、何か食べたい?」「天麩羅」とか答へてゐたからなぁ、点滴の身で。
そんな祖母がここ数日驚異的な回復をみせてゐる、と聞いたのが8月30日。血圧も脈拍も正常値に戻り、みんなと喋りまくったり、「東京音頭」や「星影のワルツ」を歌ったり、あまつさへ水を少し飲んだ!といふ事で、これはまだ大丈夫さうだー、といふ話だったのですが、次の日の夜には逝去の電話。祖母は死の寸前まで気分よく歌を歌ってゐたらしいのですが、急に眼が怪しくなり、あれよあれよといふ間に体温が下がって、脈拍も弱まり、そのまま亡くなった、との事です。

違和感

9月1日は火曜日でオパールの定休日だったので、祖母の家に駆け付けました。祖母はギンギンに冷やされた部屋の中で、ドライアイスに包まれて、布団に寝かされてをりました。周りに何人か親戚の者が集まってゐたのですが、みんな「キレイでせう。まるで眠ってるみたい」とか言ふのです。しかし・・・、これ、私には結構違和感がありました。
確かに、キレイではあったのですが、そもそも祖母にみえない。いや、確かにそれは祖母の顔なのですが、でもなんか決定的に違ふ。なんといふか偽物感が強い。これは別物だ、すでに祖母はここには居ない・・・とでもいった所でせうか。だから「眠ってゐるみたい」とはとても思へない。これはトモコも同感の様でした。
それから「お婆ちゃんはもう十分に生きた。このまま何も食べられず、どこにも行けないんぢゃ、生きてても仕方なかったからねぇ、よかったよ」といふセリフもよく聞いたのですが、これにも違和感。いや、これもこのセリフの内容自体は、まぁ、わかるし、別にケチをつけるつもりはないのですが、そして、このセリフを口にする人も、祖母が死んだといふ事実を自分に納得させるために敢て口にしてゐる(つまりこの内容を強く主張したい訳ではない、といふこと)のも分かるのですが・・・それでも、私は他人の人生を「もう十分」とか「これ以上生きてゐても仕方がない」と言明する事に、なんだか抵抗を感じるのです。別に、延命治療をやれば良かったのに、とか思ってる訳ではないですよ。でも・・・、違和感がある。居心地が悪い。うーむ。
そもそも葬儀会館でやる葬式にも違和感があるし、浄土真宗のお坊さんにも違和感がある。むむむー。違和感に包囲されて、針の筵だー。
猛烈に疲れた三日間でした。

ナイトクローラー

MOVIX京都にて「ナイトクローラー」を観ました。最近グングンと存在感を増してきてゐるジェイク・ギレンホール主演の新作です。
事故現場や事件現場に誰よりも早く駆けつけ、その悲惨な映像を撮り、テレビ局に売りつける仕事。他人の不幸を喰ひものにするといふ点で、ゲスな仕事です。カネも仕事もないが、なんとかサクセスしたいと熱望してゐるルー(ジェイク・ギレンホール)は、さういった仕事がある事をたまたま知り、単身その業界に乗り込んでいきます。そして、持ち前の勤勉さと、道徳や廉恥心に縛られない自由な心、成功のためなら極悪な手も厭はない熱心さ、どんな非情な事をしてもいつも笑顔でゐる前向きさ・・・で、のし上がっていく。その様を描いたダーティーヒーローものです。
実際、ルーはすごくいい感じです。他人の事を一顧だにせず、自分の事だけ考へてゐる、といふ点で最低の人格であるのは間違ひないのですが、その彼が、むしろカッコ良くさへ見えてしまふのは、ひとつには彼が確固とした哲学を持ってゐて全くぶれないからでせう。現代の様に価値観がはっきりしない時代には、かういふぶれない人間はカッコ良くみえる。他の理由としては、現代の様にとにかく成功して大金を得るのがよしとされる腐った時代には、それに見合った腐ったダーティーヒーローが現れる。彼が時代を象徴してしまふが故に、カッコ良くみえてしまふのだと思はれます。
このそれぞれの点に於いて、印象的なシーンがありました。まづ、ルーがぶれない、といふ点ですが、ルーの持つ“自分の成功のためなら、いくらでも他人を犠牲にしても構はない”といふ哲学は、そのうち壁にぶちあたります。そこで引き返せばまだマトモな人間なのですが、ルーはぶれないので、その壁をぶち破ってしまひます。彼は鏡に映った自分の顔を睨み、それに対して絶叫し、その鏡を叩き割ってしまふのです。あとは、バラバラになった鏡に映った、バラバラに砕けたルー自身の姿が残ります。これは、最後に残ってゐた人間性をも叩き壊し、(自分の哲学を貫徹するために)悪魔に魂を売ったルーを象徴するシーンです。実際に、この直後に、彼は決定的に一線を超える行動に出るのです。
それから、腐った時代を象徴するダーティーヒーロー、といふ点に関してですが、これは映画のラストシーン。遂に成功を手に入れたルーは、さらなる成功を目指して頑張っていく・・・てな感じのシーンなのですが、そこで大きなY字路が映るのです。そこをルーと彼の部下はクルマで走っていくのですが・・・これは作品からの観客に対する問ひかけとも言へるでせう。あなたはどちらを選ぶのか、ルーの様に時代の波に乗ったダーティーな生き方をするのか、それともそれに反した生き方を選ぶのか、と。
音楽もまともなヒーローものみたいでやたらカッコ良いし、美しい夜景とも相俟って、とても皮肉が効いてゐていい感じ。なにより、12キロも落して映画に臨んだといふジェイク・ギレンホールが、ただでさへ印象的な眼が、異様なまでに印象的なギョロ目になって、ほんといい感じでした。
これは当分、ジェイク・ギレンホールから眼が離せませんね!

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