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2014年10月17日(Fri)

10月9日〜10月15日 etc

嘘とホント

先日読んだアゴタ・クリストフの「悪童日記」が猛烈に面白かったので、早速続編である「二人の証拠」「第三の嘘」を購入し、読了しました。
・・・かういふ話だったのか・・・、途中で止められなくて、徹夜で読み終へた故の些か茫然とした頭で、私は白みゆく窓の外を眺めながら呟きました。
この小説・・・読んだ人はもちろん分かってゐる様に、まぁ、ネタバレ厳禁だよね、基本。だから、ここで直接この小説について述べる事はせず、間接的な感想を述べたいと思ひます。

“嘘”と“ホント”って、どこまで区別がつくもんなんだらうね。
むろん、会社や学校を休みたくて、死んでもゐないのに「親が死にました。(だから休みます)」と申告すれば、これは100%嘘だらう。
しかし例へば、政府が「消費税をあげるのは、福祉のお金を調達するために必要だから」と言ってゐるのはどうだらう。これは、まぁ、嘘だらう。
消費税は3→5→8と上がってきてゐるけれど、福祉のお金はカットされ続けてゐるし、そもそも消費税増税は、直接税の最高税率の引き下げ&法人税の減税とセットになってゐるので、これはつまりみんなから取り立てたお金を富裕層と大企業に流し込む仕組みで、格差政策です。言ってる事とやってる事が逆。むろん、この様な政策をとる事によって景気が上向き、結果として万事オーライになるのならともかく、景気は一向に良くならず、むしろ悪くなってゐるほど。だからこの事態をみれば、政府の言ってる事は嘘と言へませう。
とはいへ、政府がこの事態をよく把握・理解できてをらず、「でも頑張ったら福祉の方も何とかなるかも」と漠然と思ってゐる可能性もあるし、我々の想像できない超絶的な理屈があって、いずれは上手くいくはずなんだけど、ただそれが現在はうまく作用してゐないだけ、といふ可能性もあるので、嘘としては100%とは言ひ難く、純度は落ちるでせう。それはやっぱ話が大きくなると、様々な要因が絡んでくるので、さう簡単に嘘/ホントと分けられなくなってくるからです。

ではもっと話を大きくして、この世の中全部が嘘かホントか、といふのならどうでせうか。世の中に一般的に流通してゐる情報、そこから一般的に思はれてゐる世の中の姿、といふのは嘘であり、ホントの世界は別にある、と。
これを、“世の中には裏がある”と考へれば陰謀論だし、“世の中には隠されたものがある”と考へればオカルトでせう。実際のところ、私はここまできたら、嘘とホントの区別はできない、無意味だと思ふのです。
世の中に裏はないのか?隠されたものはないのか?と言へば、そらあるでせう。だからと言って、一般的に流通してゐる“世の中”が嘘だとも断言できないし、陰謀論的・オカルト的世の中がホントだとも断言できない。それは別に、陰謀論的世の中が単純すぎる(**が全ての悪の原因だ!)から、とか、オカルト的世の中が恣意的すぎる(絶対証明不可能の真理を**は掴んだ!)から、とか、よく言はれる批判故ではなく、やはりもうこの段階では嘘/ホントの区別は意味がないからだと思ふのです。
ぢゃあ、嘘もホントはゴッチャかい!なんでもかんでも同じかい!・・・かと言へば、別にさういった訳でもなく、やはりこれは観点/解釈の違いなので、その精緻さで区別する事はできるでせう。そしてこの区別は、真/偽の区別ではなく、レベルの違いです。

で、ここで小説の話に戻るのですが、小説とは、作り物といった点でそれは嘘です。事実に基づいた・・・とか何とか言っても、小説として語った時点で、それは作り物です。ぢゃあ、小説は100%嘘なのかい、と言へばそれも変な話で、小説の世界に於いては、書かれた事が全てなので、何が書かれてゐやうと、それは100%ホントです。これは一見、小説外の世界と較べれば小説は嘘で、小説内のものは小説としてホント、と言ってる様にみえるかもしれませんが、さうではありません。小説内で「この小説に書かれてゐる事は全て嘘である」とあれば、その通りそれは全て嘘なのですが、それでも小説に書かれてゐる時点で、それはホントなのです。だって、書かれてゐる事が全て嘘なら、嘘と書かれた事も嘘ぢゃないか。
小説とはひとつの世界で、つまりは世界について嘘/ホントを区別する事はできない。これは、ここ以外にホントの世界なんてない、といふ事でもあります。いくら自分が一般世間とは違ふ世界を観たと思っても、それは観点の違ひ、レベルの違ひであって、自分が高いレベルに立って世界を観てゐる事をもって、低いレベルを否定する事はできません。それは嘘でも間違ひでもないのだから。そして、自分は低いレベルの世界の上に立って物事を観てゐるとしても、それはその低いレベルに支へられて立ってゐるといふ事でもあるので、その低いレベルはバカにしたものでもありません。といふか、自分だってそこを抜けて来たんぢゃないか。それを読んだんぢゃないか。それを読まなければ、上には抜けられなかったはず。

そこには「テキスト」があり、「証拠」があり、「嘘」がある。「世界」があり、「事実」があり、「解釈/観点」がある。
これが、私の「悪童日記」三部作を読んだ感想です。

荒野はつらいよ

「Ted」で一気に名を馳せたセス・マクファーレンによる新作「荒野はつらいよ〜アリゾナより愛をこめて〜」を、TOHOシネマ二条にて鑑賞。
それにしてもこの邦題、酷い・・・。いや、苦労してるのは分かるんですよ。いくら「Ted」が売れたからと言って、日本ではほぼ無名に近いセス・マクファーレン。ただでさへ日本ではアメリカ製のコメディは売れないのに、西部劇のパロディときたもんだ。もう絶対に売れないと確信できる感じですね。
だから、予告編では(関係ないのに)Tedが出て来たり、今回も入場者プレゼントでTedのシールを配ってる(わーい!)。涙ぐましい努力。でも、やっぱダメだらうな・・・と思って観に行ったら、案の定、公開したばっかりなのに、客は私とトモコを含めて四人。うーむ。
まぁ、公開されただけでも有り難い、Tedのおかげだ、と、感謝して観ました。
むろん、面白かったですよ。下ネタとブラックジョーク満載なんだけど、決して立派にはならない!下らなさに徹する!といふ強い意志と、良識や俗情に対する飽くなきオチョクリマインドがひしひしと伝はってきて、いや見事なもんです。かういった映画、好きなんですけどね、私。
ちなみに、当たり前ですが、セス・マクファーレンがTedにそっくりで・・・。表情や動きがあまりにTedを彷彿とさせます。なら、「またTedになれば良かったのに」とはトモコの言ですが、そらそれならこの映画も売れたでせうが、さういふ訳にはいかんだろー。
「Ted2」は来年公開らしいですよ。

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