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2012年06月25日(Mon)

普遍 オイシン

オイシンはその昔、オパールで働いてゐた事があるし、オパール道場なるもので私の不肖の弟子としてしごかれてゐた時期もあります。いや、私のみならず、ババさんやチェケさん、マツヤマさんやトモコなど、様々な人々の手をわずらはし、揉まれて、鍛へられ、見事に道場を破門されて、故郷へと帰っていったのです。
その後もちょくちょく京都に来た折りにはオパールに遊びに来てゐたのですが、特にここ数年は来る回数も減り、昔の様にゆっくり話す機会もなくなってゐました。それが、先日、久しぶりにゆっくりと、ちょいと長めに話す機会を得たのです。
すると・・・、恐ろしい事が判明してしまひました。オイシンは、全く、完璧に、100%、パーフェクトに、一分の隙もなく、オパールでの経験が身になってゐなかったのです!

話は、オイシンがマツヤマさんの突っ込みにうまく答へられない、といふ所から始まりました。オイシン曰く、「別に答へようと思へば答へられるんですけどねー、どういふ風に答へたらいいかが分からないんですよー。場の雰囲気を壊す訳にもいきませんしねー」。それに対してトモコが「それはきっちり普遍を目指してないから、そんな事で悩むんぢゃない」と答へた所、 オイシンは「ええー!普遍を目指すんですかー?それ、マジで言ってるんですかー?・・・むろん、店主は普遍なんて目指さないですよね?」とか、私に向かって言ふのです!私は、あまりの事に絶句してしまひました。
オイシンがオパールに居た数年間、私(とトモコ)がオイシンに対して言った事は、煎じ詰めれば「どんな時でも、常に普遍=絶対を目指せ」の一言に尽きます。はっきり言って、それしか言ってない、と言っても過言ではありません。それなのに、それが分かってゐなかったとは・・・。

人はどんな時でも常に普遍=絶対を目指さなくてはならない。といふのは私とトモコの確信ですし、オパールの銘でもあります。私がこの事を強く言ふ様になったのは、80年代に青春を過ごした事とも関係があるかもしれません。私の若い頃、世の中はポストモダンの真っ盛りで、価値相対主義が大手を振って歩いてゐました。自分は自分、他人は他人、価値観は色々なんだから突っ込まんといて!といった心性が蔓延してゐて、私はこの心性は世の中を腐らす、断固として抵抗せねば!と強く考へる様になったのです。
この心性はある意味、それ以後もずうっと続いてゐるもので、むろん、オイシンも初めてオパールに来た時はそんなありがちな若者でした。
初めてオパールに来た頃のオイシンは、恐ろしく無知・無教養、考へは浅く、といふか、如何にして考へずに物事を済ますか、といふ事だけに心を砕いてゐる人間でした。こちらが呆れて色々と言っても、「まー、ボクにはボクなりの考へもありますからー」「オパールが特殊なんですよー、ボクの周りではそんなこと誰も知りませんよー」「みなさんがさう考へるのは勝手ですが、ボクにだって勝手に考へる自由がありますからねー」などと言って暖簾に腕押し状態でした。
まぁ、こんな奴は放っておいたらいいのですが、どういった成り行きからか「オパールに弟子入りします!」とかオイシンが宣言したもんだから、それからはみんな(オパールスタッフ及び常連さんたち)で、面倒くさいけれど頑張って、「オイシンの考へなんかに、なんの価値もない!」「この程度の事を知らないなんて、自らを恥じてヘソ噛んで死んでもをかしくないぞ!」「今のオイシンには自由も権利もない!あるのは義務だけだ!」などと、あまりに正しい言葉の数々を浴びせ続けたのです。
むろん、その程度の事で人間変はる訳がない、と言へばその通りです。が、せめて我々が何を言ってゐたか、どういった考へを持ち、それをオイシンに伝へ様としてゐたのか、といったことぐらゐは分かっただらうと思ってゐたのですが・・・。

普遍。絶対。人によっては“神”といふ場合もあるでせう。オイシンの好きな言ひ方で言へば“道(タオ)”。さういったものを目指さない人間はどうなるか。常に周りを窺ひ、合はせようとする。そして、その時その場で強いものを探し、そこに依らうとする。そして弱いもの、マイナーなものを抑圧する事によって、自分の立場の安定を図らうとする。そんな人間は最低だ!と、オイシンには何度も言ったはずなのだけれど、どうもオイシンはどんどんそんな人間になってきてゐる様な気がします。う〜む。

気を取り直して、私の絶句した直前の質問に戻ると・・・・・・だな、オイシン。むろん、議論に於いても目指すべきは普遍=絶対だ。相手を負かしたり、自分をよく見せる事ではない。だから、如何にしたら普遍的な答へが出せるか、をよく考へて、相手の突っ込みに答へる事。その場の雰囲気なんか関係ない。あと、反射神経で答へるのはやめろ、オイシン。まぁ、考へ過ぎて答へられないよりはマシかと思ってゐたけど、オイシンの場合は、反射神経が“考へないで済ますこと”の言ひ訳になってゐる。オイシンは、自分の文章がどんだけアホっぽく、不真面目に見えてゐるか、分かってるのか?マツヤマさんが苛立ってゐるのは、多分そこだぞ(別にオイシンが小沢不支持だったり、石原好きだったりする事ではなく)。

それにしても。「朝に道を知れば、夕べに死すとも可なり」といふ孔子の言葉を、オイシンには100回は言ひ聞かせたはずなんだけどなぁ(そしてその度に、オイシンは「いいですねー」とか言ってたはずなんだが)。

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