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2012年06月07日(Thu)

セピア代表 オイシン オイシン

5月の強制起訴シリーズ「テルマエ・ロマエ」の回で、強制起訴セピアとして初めて会に出席したオイシン。意気揚々としてオパールにやってきました。

やー、オイシン。この間はご苦労さん。また誰かがよんどころない用事で出席できない時は、頼むよ。

「はっはっは!任せて下さい。途中で寝てしまったとはいへ、立派に任務を果たしたボクですから」

うん。それからコメント欄にレスポンスしてくれてもいいよ。ウノピの奴とか。突っ込みどころ満載だろ?

「えー?さうですかー。だってみんなと同じこと言ってるだけぢゃないですか。前半よかったけど、後半ダメだったとか」

・・・そこ以外は全く違ふこと言ってるぢゃないか。そもそもあの映画は、前半は良かったけど後半はダメだったって、みんな言ってるんだから、そんな所は無視していいんだよ。如何に違ふ意見を持ったか、といふのが重要なんぢゃないか。

「そんなもんですかねー。でも、テラリー(セピアメンバー)は、みんなと違ふ意見を書かうとし過ぎて、コメント欄に書き込めなくなってるんぢゃないですかねー」

まぁ、な。さうかもしれん。でもなぁ、ある作品を観て、他人と同じ意見・感想しか持てない・・・といふか、大多数と同じ意見・感想しか持てない、といふのは、頭と心が鈍りまくってるぞ。そもそも映画なんて、それ自体は受動的娯楽に過ぎないんだからさ、観て、面白かったー/つまらなかったーだけでは、どんどん頭と心が腐っていくから。それを能動的に転化するためには、そこから問題を引き出し、他人の意見・感想と闘はせる必要がある。そのための場として、強制起訴シリーズがあるんだからさ。

「ほー、さうだったんですか!ボクはてっきり、元店主やマツヤマさんやヤマネさんが、映画を観る口実を作るためにやってるんだとばかり思ってましたよ」

・・・んな訳ないやん。それなら、観たくもない映画ばっかりわざわざ選ばないって。今回の「テルマエ」にしてもさ、テレビドラマ撮ってる人の映画なんだから、普通だったら絶対に観ないよ。でも観なくちゃならない。強制起訴されたから。で、観るからにはそこから問題を引き出さうと。必死に気力を振り絞って観に行ったら、意外や割と楽しめたんだよねー。はは。この映画、はっきり言って分かりやすい欠点はたくさんあって、それを批判するのは簡単なんだけど、それよりは“割と楽しめてしまった”といふ事を焦点化した方が、問題として面白いと思った訳だ。なんでテレビドラマ嫌いの私でも、割と楽しむ事ができたのか、と。

「あ、それ、ボクが寝てた間にヤマネさんと話し合ってたんですね!ずるいなー、ボクにも教へて下さいよ」

どこがずるいんだよ!・・・いや、そんなのその場ですぐ答へが出る様な問題ぢゃないよ。ただ、テレビ局が積極的に映画作りに関はる様になって、といふか「踊る大捜査線」以来ドラマ作りの方法を映画に持ち込む様になって、それ以来、日本映画はどんどんダメになってるんぢゃないか?といふ問題意識が私にはあるからさ。できればそれをはっきりさせたい。映画とテレビドラマの違ひを、はっきり言語化する、とか。それと、今の日本ではあまりにテレビが洗脳装置、といふか愚民化の装置として幅をきかせてゐるから、これをなんとかしたいといふ想ひもあるよね。テレビに対する闘争だな。このシリーズの名前の元になった小沢一郎事件とかね。どーみたって無罪の小沢一郎を、官僚とマスコミが手を握ってテレビを通して“有罪である”といふ印象操作をして、小沢の目指した民主党革命(ロットン・ビューロクラシーの打破)を潰していく、といふ、それが未だに、検察による調書の捏造が発覚した今になっても、まだ続いてゐるといふ、この酷い事態。この腐り切った事態をどうすべきか。 まー、映画観て与多飛ばしてる我々にできる事なんてないと言へばその通りなんだけど、少しはそれについて考へを深めようと・・・・・・。おい、オイシン。

「・・・・ZZZ。・・は! あわわ寝てた。えーと、今どこら辺です?」

どこら辺ってなぁ・・・。寝てた間の事は大体想像がつくのが、オイシンの特技ぢゃないのか?え?

「さうですね!・・・う〜ん、この元店主の日記、70点!」

何も考へずに喋ってるな・・・。

「はっはっは!まー、これからもセピアとして頑張りますよ。セイヤァ!」

あ、オイシン、「ミッドナイト・イン・パリ」観ろよな。

Comments

投稿者 手塚ありお : 2012年06月13日 05:14

はじめまして。
最後の1行に引っかかって、「ミッドナイト・イン・パリ」を見てきました。

実はウッディ・アレン作品は一度も観た事が無かったのですが、これは傑作です!

以下、ネタバレも含みますが。
この映画で最初に惹きつけられるのは、フィッツジェラルドの自信に溢れた視線と生き生きとした振る舞いが、主人公に比して描かれる場面です。第一印象は、「最初に映画に登場する生きている人間」という感じなんですよね。で、映画を振り返って、なぜそういう印象を抱いたのかを反芻すると、彼は「自分の頭で考えること」と「恋をすること」を兼ねた備えた人物であって、つまりその2つが「生きること」だというのが、この映画の主たるテーマだと思います。
 現代に生きるアメリカ人が本当は自信の無い俗物として全員描かれるのに比べ、ヘミングウェイやピカソ、ダリ、マン・レイといった「自分の頭で考える」人間がいかに自信に満ちているか。彼らに導かれる様に、主人公は作品に対する批評を受け、推敲を重ねることで少しは「自分の頭でものを考え」、そして「恋をする」ことで、自分の人生を生きることができるようになる。迷いに迷っている現代人への軽い処方箋。でも、それだけで終わらないところが、この映画のいいところだと思います。
 「黄金時代思考」が、さもキーワードのように出てきますが、「自分の頭で考える」人達が、決して過去への憧憬を口にしない、というのも面白い作りになってるなー、と思っていたら、マネやゴーギャンはルネッサンスに憧れているし、映画を観ながら細部を分析しようとすると自分の考えの矛盾に行き当たり、いつまでも考えを巡らせてしまう。そうして、パリの風景やとてもフランス人らしい魅力に満ちた3人の女性、少しデフォルメして描かれているような過去の人物を見ている内に、夢を見ている様な感覚に陥り、いい気持ちになってしまう。つまり、「自分の頭で考える」ことも「恋をする」ことも必要だけど、まずはチルアウトしろよ、と言われている気分。そこも合わせて、この映画は傑作だなーと思います。
 フランス人も、スペイン人も、アメリカ人も、忌憚無く意見をやり取りして何かを生み出していた。そういう時代に対する憧れは、現代のアメリカ人にとっての本音でしょうけど。

すみません。おじゃましました。

投稿者 元店主 : 2012年06月14日 04:06

手塚ありおさん、こんにちは!

最後の一行に反応するなんて、分かってゐらっしゃる。さう、その通り!この日記は、最後の一行が一番大事なのでした。

私もこの映画はなかなかにヒットでして、色んな人に薦めまくってゐます。で、反応は色々で、それはそれでまた面白いのですが。

私的には、全体に効きまくってゐる皮肉と幸福感のミックス具合が絶妙で、それが良かったです。ラストもほんと、素晴らしかったですねー。絶品。まぁ、あの二人、すぐに分かれるでせうけど。

また良ければお越し下さい(オパールにも)。では!

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