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2011年05月07日(Sat)

エンジェルウォーズ 映画

MOVIXにて「エンジェルウォーズ」ザック・スナイダー監督を観てきました。

この映画、予告編でヘンテコリンなロリータファッションに身を包んだ少女が巨大な侍を日本刀で真っ二つにしたり、謎の戦場で機関銃を撃ちまくったり、宙を飛んだり、ロボットに乗ったりして、エキセントリックでオリエンタル・耽美で珍奇、お、これは、と思はせるものがあり、多少の不安はあったものの、是非観ておかねば!と、勇んで観に行った訳ですが・・・。
あかん。こら、ダメだ。久々にカス映画を観てしまったよー。

何がダメと言って、まづストーリーが酷い。・・・などと言ふと、こんな映画はストーリーなんてどうでもいいやん、映像がカッコ良かったら、といふ反論があがるでせう。それは、その通り。私もさう思ひます。が、映像を引き立てる“どうでもいいストーリー”なんてものは、案外難しかったりするものです。しばしば、映像のカッコ良さを台無しにする酷いストーリーだったりする訳で・・・はっきり言って、この映画は典型的にそのパターンでした。

精神病院に閉じ込められた少女たちは、そこからの脱出を目指します。その闘ひが何故か比喩的に妄想世界での闘ひとして描かれるのですが、むろん、それは構はない。問題は、その闘ひが、謎のオッサンの主導の下に行はれる、といふ事です。少女たちの自らの力で自由を勝ち取るための闘ひが、何故かオッサン(しかもこいつ、何物なのかサッパリ分からない)の言ひなりで、不条理な闘ひを強いられるものであり、しかも幾多の犠牲を払ひながらオッサンのいふ通りのものを得たのに、約束されてゐた自由は手に入らない!なんだそれは!・・・まさか、最後のロボトミー手術で感情を除去された状態こそ少女にとっての“自由”であり“幸せ”である、とか言ひたいんぢゃないだらうなぁ。・・・いや、多分、さう言ひたいんだよ、このオッサン(ザック・スナイダー)は。

要するにここに描かれてゐるのは、可愛らしい少女に自分の好きな格好させて、ゾンビや怪物と闘はせてみたい。ただし少女たちが自我を持つ事は決して許さず、自分の思ひ通りに動くといふ条件つきで。つまり、少女たちを思ひっきり弄んでみたい、といふ妄想です。実際、これが初の自らによるオリジナル脚本の映画になるザック・スナイダーは、「『エンジェルウォーズ』は、僕が脳内で創造した神話だ」と語ってゐます。分かりやすいなぁ。確かにこの映画には、彼の“醜い”オタク的感性がよく現れてゐます。だから、私はザック・スナイダーに言ひたい。

今のお前(の神話)はキモ過ぎる。修行して出直して来い!

全く、「キック・アス」の爪の垢でも煎じて飲んで欲しいわ。

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