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2009年10月12日(Mon)

圧縮批評宣言 読書・文学

私はもともと友人の数が多い人間ではなく、昔から少数の人間と濃く(?)つき合ふ、といふタイプでした。振り返ると、幼少の頃から私は常に親友・・・ともいふべき友人がどの時期にもひとり居て、主に彼とばかりつき合ふ、といふ形をとってきた様に思ひます。
しかし、現在、それらの親友たちとは、全くと言ってよいほど付き合ひはありません。様々な理由から彼らとは疎遠になってしまひました。そして、現在、子どもの頃から付き合ひのある人間はひとりも居ない・・・・・・と、書きたい所ですが、豈図らんや、ひとり、居るのです。そこまで深くつき合った事もなく、なんとなく、ずるずると、なんだかお互ひの関係がよく分からないままに付き合ひ続けてゐる人間が。
それが、可能涼介です。

なぜ、彼との付き合ひだけがこんなに長続きしてゐるのか。さっぱり分かりません。正直言って、彼の事はあまり“友人”といふ感じがしないのです。お互ひ、そんなに親しいといふ感じではないし。が、“友情”といふのは、実はこの様なものなのかもしれません。

そんな彼の新著が出ました。「反論の熱帯雨林」「はじまりのことば」に続く3冊目。「圧縮批評宣言」(論創社)。この出版不況時によくぞ出た!といひたくなる様な本です。とりあへずは、めでたい。うーん、おめでたう!

さて、この本は、彼の10年以上に渡る様々な媒体での批評活動を集めたものです。いはば、可能涼介がギュッと圧縮された濃縮汁みたいな本で、ページを開くだけでその濃厚さに圧倒され、私の様な胃弱の人間には些かきつい所もあるのですが、それでもほとんどがすでに読んだ事のある文章であり、この1週間、少しづつ折に触れて租借する様に読み、読み通してみると、今まではみえてゐなかった事が色々とみえてきて、非常に面白い読書体験ができました。

彼はよく私の所に電話をかけてきて、これから書かうとしてゐる文章について徒然なる事を喋るのですが、この結果として、彼の文章の裏側が見えてしまった様な気になる事が多々あるのです。ある与へられたテーマに対して、彼が如何にそのテーマに絡めて自分を売り出すか、自分の憎んでゐる奴を貶めるか、気になる女の子をくどくか、といふ事に腐心してゐる様が透けてみえてしまって、苦笑してしまったりするのです。
私は素人ですから、やはり批評文といふものに対してある種の畏敬の念を持ってゐまして、かういふ公私混同はダメなのではないか?などと思ってしまふのですが、まー、腐れ縁だし、文章自体は面白いからいいか、てな具合にして彼の文章を読んできたのです。
ところが、今回まとめて彼の文章を読み返してみると、私の読みは皮相だったのではないか、と考へ直すに至りました。

確かに、彼は文章に私事を混ぜ込んでゐます。だから一見、不純にみえます。が、彼が混ぜ込んでゐるのは、私事だけではありません。森羅万象、ありとあらゆるものを、ギュッと「圧縮」して混ぜ込んでゐるのです。全てが、全世界がそこに「圧縮」されてゐるのなら、私事が混ぜ込んであってもそれは不純ではありません。全世界の中には、当然私事が含まれてゐるからです。
これこそが彼の言ふ「圧縮批評」で、彼は自分の「圧縮」された批評文を、「石ころ」や「種」に例へてゐます。この事には、全世界が圧縮されてある、全世界がどうといふ事のない形でそこらに転がってゐる、といふ含意があるでせう。

逆に言へば、彼は石ころに全世界をみる能力がある、といふ事になります。実際、彼はありとあらゆるものに全世界をみます。ありとあらゆるものに全世界をみる、となれば、ありとあらゆるものが等価だ、といふ事になり、彼の中では物事の優劣がありません。優劣がないのなら、偶然や縁こそが大事となってきます。そして、その通りに、彼は偶然や縁を非常に大切にする人間なのです。(これが私との腐れ縁が強力な理由かな?)

彼は他の人々が呆れるくらゐ厖大に読み、様々な所を歩き回り、偶然や縁にパラノイアックに固執します。それは、ありとあらゆるものに全世界を読み取ろうとする行為なのでせう。その様な行為の積み重ねの果てに、彼は絶対の顕現、エピファニーを夢想してゐる、と私は読みました。

・・・・・と、いふ事は、巻末の座談会でみんなから非難されてゐる様に、可能涼介はロマン主義者、といふ事になるのでせうか?
うーむ。ま、批評業界の趨勢に無知・無関心な私に言はせれば、ロマン主義者でもいいんぢやないの?てな事になるのですが・・・。

Comments

投稿者 可能涼介 : 2009年10月15日 17:53

小川顕太郎さま
言及ありがとうございます。
8月18日の日記のコメント欄にも書きましたが、上の拙著、「ART iT」という雑誌の「新連載 椹木野衣 美術と時評 第1回 大竹伸朗の現在はどこにあるのか」で、かなりまっとうな取り上げ方をされています。
ちょっとみてみてください。
では。
可能涼介

投稿者 可能涼介 : 2009年10月15日 18:10

小川顕太郎さま
すいません。
上記の雑誌、WEB雑誌です。
http://www.art-it.asia/u/admin_columns/2WqNcoSUBdteQfkpjrO6
でみられるはずです。
可能涼介

投稿者 小川顕太郎 : 2009年10月17日 00:51

ふむふむ、なかなか興味深い文章です。
やはり、ここでも、如何にして「ロマン主義」といふレッテルを回避するか、といふのが重要な主題となってゐますねー。

うーむ。

投稿者 可能涼介 : 2009年10月17日 21:42

小川顕太郎さま
私の最近の圧縮批評が載っている「1Q84をどう読むか」という本、中国と韓国で翻訳が出るそうです。
海を越えることには、ロマンを感じざるを得ないです。
では。
可能涼介

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