京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

Home > 元店主の日記 >

サブメニュー

検索


月別の過去記事


2007年01月09日(Tue)

ヨコの会 憂国

 雑誌「ブルータス」2月1日号が茂木健一郎の特集をやつてゐました。その中で、茂木健一郎が大学生の頃、三島由紀夫の「盾の会」に対抗して「ヨコの会」といふ、ヨコになつて何もしない事を是とする会を作つてゐた、との記述がありました。なるほど、人は同じ様な事を考へるものですね。実は私もサラリーマン時代、先輩のノウショさんと共に「横の会」といふのを結成してゐたのです。

BRUTUS (ブルータス) 2007年 2/1号 [雑誌]

マガジンハウス
売り上げランキング: 4387

 これは何をする会であつたのか。正直な所よく覚えてません。といふのも、結成してすぐにノウショさんから電話があり(当時、ノウショさんは東京支店、私は大阪支店に居ました)、すでに川西杏が「憂国の会」と書いて「ヨコの会」と読ませる会を作つてゐるので我々の「ヨコの会」は解散だ、と通告してきたのです。これは川西杏が西譲二時代に、「盾の会」ソックリの制服を来て「憂国の会(ヨコの会)」と名乗り、自作の「盾の会の歌」を歌つてキャバレーを廻つてゐた事を指します。私は、そんなの気にしなくていいのに、と思つたのですが、言ひ出しッぺのノウショさんが辞めるといふのなら仕方がありません。かうして我々の「横の会」は何も活動をしないままに消えてしまつたのです。

 ところで「タテの会」と言へば、私はすぐに向田邦子さんの作つてゐた(作らうとしてゐた?)「縦の会」を思ひ出します。これは縦書きを守らう! といふ趣旨のものだつた様です。素晴らしいですね。

 閑話休題。私が会社を辞めたあと、ノウショさんも会社を辞められたので、私は東京までノウショさんを訪ねていきました。そこで雑誌「フライデー」創刊号に載つた“三島由紀夫の生首”写真を一緒に拝し、映画『MISHIMA』を観ながら酒を酌み交はしたのですが、敢ていふならこれが我々の「横の会」の幻の活動、と言つたところでせうか。

 最近はノウショさんとも連絡をとつてゐません。元気に活動してをられるかな、とフッと思ひました。

Comments

コメントしてください





※迷惑コメント防止のため、日本語全角の句読点(、。)、ひらがなを加えてください。お手数をおかけします。


※投稿ボタンの二度押しにご注意ください(少し、時間がかかります)。



ページトップ