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2006年12月12日(Tue)

散るぞ悲しき 映画, 憂国

 さて、昨日の日記で、是非日本人の手で硫黄島の戦ひを映画化して欲しい、と書きましたが、もしさうなれば題名はどうなるでせうか。やはり、『散るぞ悲しき』ですかねェ。これは無論、話題の書『散るぞ悲しき』梯久美子著(新潮社)から採つた題名です。

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道
梯 久美子
新潮社
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 実際、栗林中将を演じた渡辺謙は、撮影前に色々と硫黄島の戦ひの事を研究したさうなのですが、その中でもこの本には負ふところが大きかつたと言ひます。そして、イーストウッド等に色々と進言し、中には採用して貰つたアイデアも多かつたさうなのですが、最も採用して欲しかつた逸話が理解されずに流れてしまつたのが残念だ、と語つてゐました。その逸話とは、この本のメインになる逸話の事なのですが、それは栗林中将が最後の総攻撃をかける(要するに玉砕する)前に、大本営にあてて打つた電報の最後に記されてゐた句「國のため重きつとめを果たし得で矢弾つき果て散るぞ悲しき」が、新聞発表された際に「〜散るぞ口惜し」に書き換へられてゐた、といふものです。

硫黄島は、実は戦ひが始まる前に、大本営から見捨てられてゐたのです。「結局は敵手に委ねるもやむなし」と書かれた資料が残つてゐます。だから、栗林中将の再三の要請にもかかはらず、大本営は援軍も資材も武器も碌に送りませんでした。そんな状況で捨て石の様に死んでいく自分たちの事を、「悲しき」と詠んだのですが、それは大本営的には許せなかつたのです。弱音、とも見えますし、なにより大本営に対する批判、ともとれます。ここには、イーストウッドたちにはピンと来なかつたかもしれませんが、ある種の日本軍の悲劇が集約されて現れてゐる、とも言へるでせう。だから、新しい硫黄島映画には、この逸話を入れると良いのではないでせうか。

 また硫黄島には水がなく、主に雨水を貯めて使つてゐた様ですが、そんなもので足りる訳がなく、日本兵はズウッと喉の乾きに苦しんでゐた様です。さらに地下に潜つてのゲリラ戦を日本は敢行してゐたのですが、火山島である硫黄島の地下は灼熱地獄、さらに硫黄や毒ガスが出たりして、その様は本当に地獄の如くであつた、といひます。そこで一月以上も粘つて闘つたのですから、その様子は真に壮絶であつたと思ふのですが、『硫黄島からの手紙』では、そのあたりの描写が意外と淡白な気がしました。この点も、キチンと描きたい。

 さらに、『硫黄島からの手紙』では、栗林中将のとつた作戦の真の意義が一寸見えにくかつた。栗林中将のとつた作戦は、単に戦闘を長引かせて日本本土への空襲の時期を遅らせる、といふだけのものではありません。アメリカに留学してゐた栗林は、アメリカといふ国の国民性を熟知してゐました。それは、日本より遥かに民主主義的なので、国民が嫌がれば戦争を継続するのが困難になる、といふ事です。実際、五日で陥落する、と言はれてゐた硫黄島が、その五日間で陥落どころか最大の犠牲者を出してしまつたと知つたアメリカ国民の間では、激しい厭戦気分が蔓延します。これがそのまま進めば反戦運動となり、まるでベトナム戦争時の様に戦争継続困難になる訳ですが、たまたま例の「硫黄島に立てられた星条旗」の写真が大ヒットしたため、厭戦気分が吹っ飛び、国民は熱狂的に戦争を支持する事となります。ここら辺の様子は『父親たちの星条旗』に描かれてゐました。つまり栗林は、自分たちがアメリカ兵を苦しめれば苦しめるほどアメリカは戦争継続困難になる、と見抜いてをり、玉砕戦術を禁じてゲリラ戦を敢行したのです。その目論みは正しかつたのです。ただ、あの写真さへなければ…。

 故に! 次の戦ひに備へるためにも(?)、ここら辺は必ず冷徹に描くべきだと思ひます。

 あとは、陸軍と海軍の対立を、もう少し詳しく描けばいいかな。なにせ、この対立が日本敗戦の一大要因を成したのですから。

 と、いつた感じで、誰か『散るぞ悲しき』を撮りませんかねー。

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