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2006年07月04日(Tue)

リバタリTシャツ Online Shop

 昨日の続き。

「えーと、『リバタリ』Tシャツが自由の大切さを訴へてゐるのは分かつたんですが、なぜ表現(言論)の自由が一番大切なんですか? 自由には他にも、移動の自由とか職業選択の自由とか結社の自由とか、色々あるぢやないですか」

 うむ、テラリーはJ.S.ミルの『自由論』は読んだか?

「いえ、読んでません」

 何も読んでない大学院生だなぁ! ミステリーばかり読んでたらダメだぞ、大学院生なんだから。…ま、この本を開ければ分かるけれど、最初の章が「思想および言論の自由について」となつてゐる。つまり「自由」といつた時に問題となるのは、やはり「他人の自由」との衝突なんだ。みんながみんな「自由が大事だ!」とか言つて、好き勝手な事ばかりやつてゐたら、必ず他人と衝突が起こるだらう。自由と自由との衝突。それはどちらか、あるいは両方に不自由をもたらす。この問題を解決しなければならない。で、まづ思想の自由、といふか、要するに頭の中で“自由”に色々考へること。これは他人との衝突が起きない。だから問題がない。だろ?

「さうですね。勝手に考へてゐるだけなら、他人には分からないですからね」

次に一寸段階を進めて、この考へた事を発表・表現すること。これはどうだらうか。

「うーん、それは、他人の考へや表現を不快に思ふ人も出てくるでせうね」

さう。ここに初めて、小さな衝突が起こる。たとへば、女性を陵辱したい! とか言つてゐる人間がゐたら、さういつた意見に不快な人は多いだらう。しかし、この不快さは、自由の代償としてみんな我慢しませう、といふのが『自由論』の要諦だ。ここを守らないと、全ての自由が崩されていつてしまふ。うむ。ではもつと段階を進めて、この考へを実際に行動に移したらどうだらうか。

「そんなの犯罪ですよ!」

 さうだな。女性の陵辱は文句なく犯罪だ。こんな自由は許されない。が、はつきりと犯罪とはならない、微妙な行動だつて多いはずだ。たとへば…ま、自分の信念で風呂に入らない、身体を洗わない人がゐたとする。でも、この行為は犯罪ではないだらう?

「ええ、でも、かなり周りの人は迷惑ですよ」

 うむ、しかし、その行為を、その人の身体を洗わない自由を、100%頭ごなしに否定する事はできないだらう。この様に、行動の自由に関しては、その場その場でみんなで話し合つて決めていく、どこまでの自由が許されるのかを決めていく、といふ事が大事になつてくる。でも、表現(言論)の自由に関しては、文句なくこれを認めよう、といふ事だよ。たとへば、その人が「人間は身体を洗ふべきではないと思ふ!」と激しく主張したとして、それに対していくら「なにバカなこと言つてるねん」と思つても、その主張の自由は保証する、といふ事だよ。もしかしたら、その人の主張を聞いてゐるうちに、みんな「さうだよな、身体を洗ふのは間違つてるよな」と思ふ様になつて、洗はなくなるかもしれない。そしたら、その人は堂々と身体を洗はないで暮らすことが出来る様になる、といふ訳だ。この様に、言論の自由は、時代や地域的な偏見を乗り越え、人生の選択肢を増やすことができる。自由を守る、とはさういふ事だよ。

「さうなんですか! それ、洗脳ぢやないんですか?」

 いや、洗脳と説得は違ふ。説得なら、人はそれを聞かない事もできるし、反論もできる。みんなで何が本当に正しいのか、一から話し合ひ、考へ直すこともできる。一方的に考へや情報を流し込まれる洗脳とは違ふよ。ま、両者のグレイゾーンといふのは、結構大きいんだけどね。…だから、限りなく洗脳に近い、でも微妙に違ふところもある“テレビ”といふものを私は憎むんだよ!

「あ、脱線してますよ! …で、どうします? 続きは明日にしますか?」

 …さうだな。

前はこんな感じ

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