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2006年04月12日(Wed)

クリップス 映画

 DVDでTVドラマ『クリップス』を見る。これはブラッズと並んで世界で最も有名なギャング団“クリップス”を作つた男、スタン“トゥッーキー”ウィリアムズを描いた作品。トゥッーキーは、コンビニ強盗を働いた時に4人殺して捕まり、1981年に死刑判決を受けてゐたが、獄中で改心、ギャングたちに抗争の中止を訴へたり、子供たちにギャング団に入らないやう、真ッ当に生きるやう語りかけたり、そのやうな内容の本や童話を執筆したりして、遂にはノーベル文学賞・ノーベル平和賞の候補になるまでに至つた傑物。が、周囲の人たちの死刑中止の声も虚しく、トゥッーキーは先日、処刑されてしまつた。合掌。

 で、このTVドラマは、トゥッーキーの死刑執行前、死刑中止の声が高まる中で制作・放送された。つまり、トゥッーキーの死刑中止運動の一環として制作された、政治的意図の露骨な作品、といふ訳である。むろん、政治的意図が如何に露骨であらうと、優れた作品はいくらでもあり得る。が、残念ながらこの作品はさうではない。トゥッーキーの悪人時代はほとんど描かれず、改心以後の様子が主に描かれるのだが、このやうに悪から善へと強烈に揺れ動いた人間を描くのに、このアンバランスさは致命的である。結果として、改心の様もよく分からない曖昧模糊としたものとなつてゐるし、意地悪に言へば、これでは本当に改心したのか、単に自分の命が助かりたいだけ、英雄になりたいだけ、だつたのではないか、といふ邪推の余地をタップリ残したものとなつてしまつてゐる。ヒップホップ的に言へば、“リアル”ぢやない。

 私としては、スタン“トゥッーキー”ウィリアムズには凄く関心があるので、この中途半端な描き方はとても残念であつた。歎異抄を持ち出すまでもなく、北野武の“振り子理論”でもいいが、強烈な悪に触れた人間こそが、聖(セイント)になれるのだから。ま、TVなんだし仕方ないか、といふ気持ちもあるのですが。

 現在はスヌープが、スタン“トゥッーキー”ウィリアムズの遺志を受け継ぐ、といふ形で、ウエッサイの大同団結運動を進めてゐる。その手始めがダズとクラプトの仲直りだつた、といふのは微笑ましいけれど、とにかく、トゥッーキーの影響はこれから、処刑されてしまつたこれからにこそ、様々な形で波及していくと思はれる。死者こそが、我々を動かすのだ。

 さういつた意味で、トゥッーキーについて知るのは有益な事だし、その取つ掛かりとしてこの作品を見るのも、悪いことではないと思ひます。実際私も、見て良かつた、と思つてをります。

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