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2006年04月07日(Fri)

本の読み方 読書・文学

 テルビスk来店。西村京太郎・赤川次郎・宗田理のトライアングルから抜け出すために、前回は何冊かの本を示した訳だが、なんとテルビスkはそれらを全て読んだといふ。結構偉いな、テルビスk。で、何が一番面白かつた?

「山田風太郎! 『甲賀忍法帖』! メチャメチャ面白かつたです! でも…ラストが納得いかない!」

 ほう、どういふ風に?

「だつてあれ、結局闘ひの決着がつかないぢやないですか! 読者は甲賀か伊賀、どちらかを応援しながら読んでゐるんだから、決着がつかないのは納得いかないですよ。せつかく感情移入して読んでゐるのに。」

 なるほど。その気持ちは分からないでもないが、しかし、ハッキリ言つてそれは小中学生レベルの読み方だな。

「えー、オレ、社会人ですけど」

 いや、私の言つてゐるのは精神年齢の話だ。登場人物に感情移入して読む、ストーリー中心に読む、といふのは大切だけれど、それだけでは小中学生レベル。テルビスkも、せめて高校生レベルにはならないと。

「高校生レベルって、どんなんですか」

 うーん、ま、登場人物やストーリーからは一歩引いて、その作品世界そのものを味はふ、といふ読み方かな。その作品の体現してゐる世界観・価値観を読む、といふか。たとへば『甲賀忍法帖』でいふと、勝負は必ずしも決着がつくものではない・決着がつけばいいといふものではない・全く違ふレベルで決着がついてゐるかもしれない、などといふ世界観を表してゐるとも言へる訳だから、それを読まないと。

「はー、ぢや、大学生レベルは?」

 えー、と、さうだな。それはその作品がこの世界において持つ意味、とか、位置、みたいなものまで含めて読む。といふ感じかな。『甲賀忍法帖』なら、この作品は歴史的にみてどういふ位置づけにあるのか、とか、現代世界の中においてみると、どういふ意味を持つのか、とか。さらに、自分にとつてはどういふ位置・意味を持つのか、とか。そこまでいつて、やつと大人の読書が始まる。ババーン! 

「なんか、ややこしいですね。面倒くさー」

 さうか。さうでもないんだけど。…ま、とりあへず今日は西村望の本をあげるよ。同じ西村なら、京太郎より望を読め! と、いふ事で。

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