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 Diary 2005年3月22日(Tue.)

バンド・オブ・ザ・ナイト

 可能涼介来店。可能は読書新聞に鈴木創士著『中島らも烈伝。』の書評を書いたやうで、そのために中島らもの全小説を読み直したさうなのだが、その中で『バンド・オブ・ザ・ナイト』といふ作品がずば抜けて良かつた! 是非読め! と私に言ふので、私は読んだのであつた。で、感想を可能に伝へる。

「お! 読んだんですか。どうだつた?」

 ううううーん、私はダメだな。

「あ、さう! それは申し訳ありませんでした。」

 この小説は、中島らもの無職時代の体験を基に書かれたものだが、要するにアルコール・睡眠薬を始めとするリーガル・イリーガル入り乱れてのドラッグ漬け、ラリラリの日常が描かれてゐる。ま、そこの部分はそれなりに面白いのだけれど、この小説、主人公がラリると、その状態を表すつもりか、脈絡のない無秩序な言葉の群れが延々と何ページも続くのだ。それが何度もある。正直言つて、まだこんな事をやつてゐるんですか、と少々ウンザリした。私は昔から、中島らもの中途半端な文学趣味が嫌いだつたのだ。こんな昔なつかしの前衛小説みたいなもの…。しかし、私はこの小説を講談社文庫で読んだのだが、解説を町田康が書いてゐて、これの前半がなかなか良い。が、後半では当然のごとくこのラリラリ言葉の群れについて書かれてゐて、褒めてあるのだ。「イメージが連鎖するくだりに不明瞭な言葉はただの一語もない」「この小説は強い言葉の力を放っている」など。さうかなァ、私には自堕落な言葉の群れにしか思へないんだけれど。そこで可能に、この小説のどこがいいと思つたのかきいてみる。

「それは、自分のアル中・ヤク中の事を限りなく克明・正確に書いてゐるからだよ。肝心な事をぼかして書く、或ひはぼかしてしか書けない、といふのが日本文学の悪い所だからな。さういふのはもう中上健次で終はりにして欲しい。あの不明瞭であまりに日本文学的な死でね。中上と違つて、中島らもの死は即物的で明確だよ。情緒に逃げてゐない。ラリッて階段から落ちて死んだんだろ。明確だよ。」

 なるほど。それは分かる。けど、それならあのラリラリ描写の部分はどうなの? あれは悪しき文学趣味ぢやないのか。私にはさう思へてならないが。

「すまん、あそこは飛ばして読んだ」

 な、なにー!!!

 …ま、いいけどね。

小川顕太郎 Original: 2005-Mar-26;
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