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 Diary 2005年1月13日(Thu.)

熊野日記3

 ホテルをチェックアウトしてJR紀伊勝浦駅へ。ここで熊野交通のバスに乗つて志古へと行き、そこから瀞峡(ドロキョウ)へと向かうウォータージェット船に乗船する。瀞峡とは、熊野川の支流である北山川にある渓谷のことで、深い碧を湛へた川を巨岩・奇岩による断崖絶壁が挟んでゐる。いはゆる絶景、といふ奴で、トモコが強く望んだので行つたのだ。船がすすむにつれ、グングンと岩が巨大化・奇形化し、絶壁が迫つてくる。まるで映画の中に紛れ込んだやうだ、と、月並みな感想を漏らしてみる。奇怪な形をした岩には名前がついてゐるらしく、船の人がいちいち「えー、右手に見えますのは獅子岩です」「左手に見えてきましたのは亀岩、亀岩」と教へてくれるのだが、どうもそれらしく見えない。しまひには紐を括りつけてある岩が現れて、「あそこの首輪をしてゐるのは狛犬岩、狛犬岩です。かはいいでせう」などと言ふ。些か、強引である。中でも松茸岩がウリらしく、「ほらみなさん、あれが松茸岩です。ほら松茸岩です」と何度も言ふのには苦笑した。見えない事もないけれど、ねェ。

 折り返し地点までくると砂岸があつてそこで下船できる。ま、そこで記念撮影されたりお土産物を売つてゐたりする訳だが、そんな事より、崖の上にガーンと古い旅館のやうなものが建つてゐたのだ。凄くピクチャレスクな風景である。「あそこに絶対泊まりたい!」とトモコが言ふ。絶対、さう言ふと思つた。売店の人に尋ねてみると、そこは「瀞ホテル」といふ有名な旅館らしく、大正時代からあるさうだ。吊り橋で別館と繋がつてをり、なんと和歌山・奈良・三重の3県に跨つて建つてゐるらしい。ちやうど今は、御主人が亡くなつたばかりで休んでゐるさうだが、多分、閉めた訳ではないだらう、とのこと。それなら、いつか来ることが出来るだらうか。(後日調べてみると、ここはカヌー乗りの人たちが集まる宿らしい)

 小栗判官の話の聞いたこともないバージョン(貞女・照手姫による夫婦愛物語!)をテープで聞かされながら、志古まで戻り、そこからバスで新宮へ。バスの乗客が我々二人だけだつたので、新宮駅ではなく、次の目的地の速玉大社まで送つて貰つた。ラッキーだ。

 速玉大社は、那智大社に較べてかなり平明で、誤解を恐れずに言へば俗ッぽい。もちろん、悪い意味ではない。山の中にある那智大社と違つて、平地にあるのでこれは当然だらう。カラリと気持ちよく、清潔な空間だ。ここでも牛王神符を買ふ(ほんとは「わけてもらふ」と言はねばならないところ)。牛王神符は、3山で全て違ふのだ。つまり、本宮大社には必ず行かねばならない、といふ事だ。うむ、いつの日か。それまでは、死ねんな。

 佐藤春夫記念館がついてゐたので、そこも行く。東京にあつた家を移築したもので、館内には佐藤春夫の朗読の声が響いてゐる。興味深い。

「鹿六」でうな丼を食べ、浮島へ。ここは日本最大の浮島らしい。約4961平方メートル。浮島とは、水に浮いた島のことで、今でこそ周りが埋め立てられて街になつてゐるが、昔はここら一帯は沼だつたらしく、沼の真ん中に浮かんだ浮島は、風が吹けばアッチコッチにフラフラと漂つてゐたさうだ。上田秋成の「蛇性の淫」が材をとつたことでも有名な伝説のあるところだ。入つてみる。現在は木で作つた道のやうなものがあつてそこを歩くのだが、それでは面白くないので、禁止されてはゐるが、道を降り、島の地面にたつてみる。うーむ、柔らかい。跳ねてみる。うーん、チョット恐いかも。出口のところで「天台烏薬茶」をいただき、そこを出た。

 さて、天台烏薬と言へば、徐福である。徐福が始皇帝に不老不死の霊薬を探すやうに言はれ旅に出て、ここ熊野に辿り着き、みつけたその霊薬が天台烏薬だつたといふ。のは、まァ、ここ熊野の人たちの意見であつて、日本中のあちこちに徐福が来たといふ伝承のある場所はあるし、そもそも本国シナではそんなこと認めてゐないだらう。が、なんとここ新宮には、徐福の墓があるのだ。東北にあるイエス・キリストの墓みたいなものだと思ふが、その墓を中心に公園まで作つてしまつて「徐福公園」と名づけてゐる。かういふのは好きなので、もちろん行つた。ミニ中華街といつた趣の、キッチュで楽しい所であつた。もちろん、売店もあつて、「徐福サブレ」とかを売つてゐる。我々は「徐福不老」といふ天台烏薬入りのお菓子を買ひ、満足してそこを出たのであつた。

 帰りはJRのスーパー黒潮号で。また近いうちに来なければ、と、強く思ふ。が、遠いよなァー、熊野。

小川顕太郎 Original: 2005-Jan-13;