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 Diary 2005年2月18日(Fri.)

『きみに読む物語』について

公式サイト: http://www.kimiyomu.jp/

 ババさん来店。映画『きみに読む物語』について話す。ちなみにネタばれあり、です。

「どうでしたか?」

 うーん、なかなか良い映画だつたんですけど、やはり甘過ぎ。御都合主義が過ぎる、といふのが正直な感想です。

「なるほどねー。確かに御都合主義は凄かつたね。たとへば新聞にたまたまノアの写真が載つてゐる、とか。でも、あそこでアニーがその写真を見て気絶するでせう、それを観て、最高や! と喝采しましたけどね。マイナスにマイナスが重なつてプラスになる、といふか。やり過ぎて逆に面白い、といふか。全体に、御都合主義はさういふ風に処理されてゐて、ボクは結構オッケーだつたんですよ」

 なるほど。言はれてみれば『ジョンQ』の頃からさうでしたね、ニック・カサヴェテスは。『ジョンQ』でも、冒頭で、ほんとに映画の都合のためだけに女性が殺されるぢやないですか。本筋には何の関係もない、出ていきなり事故で死ぬ。それだけ。あれは凄かつたですね。あの御都合主義は、悪意に満ちすぎてゐて批評性さへ感じました。もしかしてニック・カサヴェテスはわざとやつてゐるんですかね、ハリウッドの御都合主義を脱構築するために。

「さうかもしれませんよ。いや、ニック・カサヴェテスはなかなか偉いですよ。確かにこの『きみ読む』も甘過ぎます。シュガーコーティングがきつい。でも、あくまでこの映画で語られる物語は、アニーが自分で書いた物語なんです。だからあの御都合主義に満ちた甘ッたるい話は、アニーが自分の過去を美化・捏造して書いたもの、と解釈できる訳ですよ。あんな話、みんな嘘ッぱちかもしれないですからね。さう考へると、なかなか意地悪な映画とも言へます。」

 さうかー。うむ、でもあのラストはどうですか? 二人が仲良くベッドで死に至る、といふ。

「あ、あれはダメ。残念です。あそこでアニーがまた呆けて、『あんた誰よ! 気持ち悪い! 誰か助けてー!!』とか叫んでノアをベッドから突き落とし、それでノアが死んでしまへば傑作になつたと思ふんですけど。」

 同感です。それなら私も快哉を叫んだでせう。

「えー、チョット待つてよ。私はあのラスト、良かつたと思ふな」

 あ、トモコはさうなの? でも、あまりに御都合主義が過ぎない?

「だから、御都合主義はニック・カサヴェテスの戦略なんだつてば! どうせあそこまで御都合主義に満ちてゐるんだから、最後までそれで通して良かつたと思ふ。それで、だいたい、あそこで初めてノアは報はれるのよ。アニーに尽くして奴隷のやうな人生を送つてきたノアにとつて、最後の望みはアニーと共に死ぬことでせう。自分が先に死んでも残されたアニーが心配だし、アニーが先に死ねば自分の存在価値がなくなつてしまふ。だからあの二人揃つての死は、ノアにとつての理想の死なの。あの死によつて、奴隷のやうなノアの人生が至福に満ちたものになる。強引にさういふ御都合主義で「救ひ」をもたらしたニック・カサヴェテスは、やはり分かつてゐる、と私は少し感動したわ」

 はー、なるほどー。といふ事は、あれは「心中」の一種だと。

「さうとも言へるわね。日本独自の美意識としての『心中』。そのままだと多分欧米人たちには理解できないから、ああいふ形にしたのよ、きつと。うん、意味合ひとしては、完全に『心中』よね」

 ううむ、ニック・カサヴェテス、やはり偉い奴かもしれん、といふ気が沸々と湧いてきました。

小川顕太郎 Original: 2005-Feb-21;