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 Diary 2004・9月24日(Fri.)

華氏 911

 京極弥生座にて映画『華氏 911』を観る。マイケル・ムーアによる、アンチ・ブッシュのドキュメンタリー映画。カンヌのパルムドールも獲つて世界中で話題騒然、日本でも大いに話題になつてゐて、私の周りでもほとんどの人が観てゐる、といつた作品。やつと、といつた感じで観ました。

 結論から言ふと、まァ、そこそこ面白かつたかな、といつた感じ。大統領選前に公開されたことや、漏れ聞く映画の内容、観た人々の反応から、これは完全にアンチ・ブッシュのプロパガンダ映画だな、と覚悟してゐたのだけれど、思つたほどの偏りはなく、少なくとも『テン・ミニッツ・オールダー』におけるスパイク・リーよりは、ズッとまともな姿勢で撮つてゐると、一寸感心した。

 どういふ事かといふと、同じやうにブッシュ批判として撮られたスパイク・リーの映画では、まるでゴアが勝つてゐればブッシュ政権が犯した様々な失態はなかつたのではないか、と思はせるやうな撮り方になつてゐて、ほとんど民主党のプロパガンダ映画まんま、といつた有様だつたのに対し、ムーアのこの映画では、もちろん民主党を支持するやうな所は散見するが、どちらかといふとストレートに分かりやすくアンチ・ブッシュ! で、とにかく現アメリカ大統領ブッシュ及びその仲間を批判することに眼目が置かれてゐるのだ。たとへ結果として民主党のプロパガンダに近くなるとしても、やはりこれは似て非なるものだと思ふ。政治といふのは虚々実々であり、一方が悪ければもう一方が良い、などといふ事は絶対にないし、表面は嘘と目眩ましだらけである。ゴアとブッシュにしても、選挙前は二人ともバカ息子の 2 世議員同士で同じ穴の狢、と言はれてゐたはずだ。ゴアが大統領になつてゐれば、もつと酷いことになつてゐた可能性だつてある。だから、批判は、ある政治的党派・立場を利するやうになされるべきではなく、あくまで真ッ向から対象にぶつかるべきなのだ。この点、この映画はなかなかイイ線をいつてゐると思ふ。

 個人的なことを言へば、この映画で提示される「恐るべき真実」は全て既知のことであり、特に驚くやうな事は何もなかつた。が、オイシンのお父さんが、ブッシュ一族とビン・ラディン一族の結びつきを知つて衝撃を受けたと語つてゐた事からも分かるやうに、一般のそれほど政治に興味のない人たちにとつては、それこそ驚異の新事実が満載されてゐるのだらうと推測できる。とすれば、権力が隠さうとする事を暴かうとするジャーナリズムの本来の役目も着実に果たしてゐる訳で、この点も好感がもてる。これだけ話題になつたのも、成功と言へるだらう。

 と、様々なプラス点をあげた上で、あへて私のこの映画に対する批判点をあげると、

  1. ブッシュを批判の対象にとりあげたのは、分かりやすいかもしれないが、やはり弱いのではないか、といふこと。ハッキリ言つてしまへば、現職の大統領や首相を批判するのは安易なのだ。それはあらかじめ許された行為、なのだと思ふ。本当の悪は、常に他のところにゐる、と、私なんかは思ひます。
  2. ムーア本人は、この映画は政治映画ではなく娯楽作品だ、と言つてゐるが、娯楽作品としてはこれまた弱いのではないか、といふこと。なんかユルいでせう? 全体的に。ギャグや風刺も月並みでイマイチだし。もう一寸パワーに溢れてゐると思つたのだが。

 と、まァ、こんな感じです。アメリカ大統領選、どうなるんでせうね。

小川顕太郎 Original: 2004-Sep-26;