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 Diary 2004・9月21日(Tue.)

「ビーフ」について

 引き続き、「ビーフ」について書く。ビーフとは、ヒップホップにおいて、相手を攻撃する曲を発表しあつてやりあふ事である。それが曲のやりとりだけで済んでゐるのならそれほど問題ではないのだが、本国アメリカでは、このビーフの激化で抗争が起こり、何人もの人が怪我をしたり死んだりしてゐるので、かなりの社会問題となつてゐる。ヒップホップアーティストの中にも、ビーフは愚かなことで止めるべきだ、と語る人は多い。が、それでもビーフが無くならないのは、人間といふのはもともと愚かな生き物だから…といふ側面も勿論あるかもしれないが、それより、ビーフといふのはヒップホップの本質に深く関はつてゐるからであらう。

 ヒップホップの中核を成すものとして、「バトル」がある。これは文字通り「闘ふ」ことなのだが、ヒップホップではラップにしろ、DJ にしろ、ダンスにしろ、グラフティにしろ、常にバトルとともにある。ダンスのバトルの方は、日本でも昔からよく知られてきたかもしれないが、ラップに関しては、エミネムの映画『8 mile』のおかげで最近やつと日本で認知を得た、といつた所であらうか。これが、ビーフの直接の淵源を成す。DJ に関しては、DJ KENTARO が世界大会で勝ち抜いて優勝し、脚光を浴びて以来、多少知る人も出てきたのではないか。グラフティは、チョット分かりにくいかもしれないが、これも常にバトルとともにあつた。誰の作品(グラフティ)が一番優れてゐるか、が常に問はれ、優れたグラフティにはストリートの人々から賞賛の声が起こる。もちろん街の大半の人々にとつて、グラフティは迷惑な落書きに過ぎない訳だが、ヒップホップな人々の間では、その評価は絶対となるのだ。ダンスにしても、DJ にしても、ラップにしても、基本は人々の前で闘つてみせ、勝敗を決する。判定を下すのはストリートの人々だ。これが、ヒップホップがストリートカルチャーといはれる所以なのである。ヒップホップは、ストリートのバトルに勝ち抜いてきた者たちによつて、その表舞台が作られてゐるのだ。だから、ヒップホップからバトルを抜いてしまへば、それはヒップホップでなくなる…といふのは言ひ過ぎかもしれないが、やはり私個人としてはさう思つてしまうのである。

 ビーフはヒップホップの本質に深く関はつてゐる。故にヒップホップに関係する者は、決してビーフを避けて通つてはいけない。ヒップホップを扱つてゐる雑誌が、箝口令を敷かれたり、自主規制したりするなんて、トンデモナイ事である。それではヒップホップを単なるファッションとして扱つてゐるアパレル系の連中と変はらない。

 と、まァ、隠さう隠さうとする力が働いてゐるのなら、さうはさせじと微力ながら書き継いでみました。K DUB SHINE とデヴ・ラージの日本初の本格的ビーフ(?)、ヒップホップを扱つてゐる雑誌の方は、是非とりあげて下さい。

小川顕太郎 Original: 2004-Sep-23;