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 Diary 2004・11月22日(Mon.)

血と骨

公式サイト: http://www.chitohone.jp/

 MOVIXに『血と骨』を観に行く。本日はMOVIX 3周年記念だとて、全作品1000円である。

 さてこの映画、原作は読んだことがないけれど、発売当時大いに話題になつた事もあり、具体的に言へば可能涼介から少しばかり話を聞いてゐたこともあつて、原作の内容はある程度承知してゐた。そして、もしこの小説が映画化されるなら、主演は絶対に「たけし」だよな、と思つてゐたので、主演・ビートたけし、監督・崔洋一で映画化されると聞いた時は、ヨッシャ! とガッツポーズをきめたものである。故にあまりに多大な期待を持つて鑑賞に臨んだためか、案外アッサリしてゐるな、といふのが第一印象であつた。もちろん、随所にエグいシーンはあるのだが、全体を通して観た印象は、割と淡白なのである。これは時間が短すぎたかな? もつと2時間を超えるくらゐでも良かつたんぢやないか…と思つて上映時間を調べると、なんと2時間半もあつた。1時間半くらゐにしか感じなかつたのだが。ぢやあ、エピソードの盛り込み過ぎか? もつと原作を削つて焦点を定めた方が良かつたんぢやないか…と思つてババさんにその話をすると、なんと! 原作を読んでゐるババさんによると、半分以上原作の話を削つてゐるといふ事であつた。では、この淡白な印象は何故なのか?

 最近の崔洋一作品と言へば、前作の『クイール』にしても、その前の『刑務所の中』にしても、オフビート、といふか、割と淡々とアッサリ仕上げてゐる印象がある。となれば、この『血と骨』の淡白感は、崔洋一が意識的に選択したスタイルなのではないだらうか。これみよがしな演出が横行する現代日本に対する嫌悪とか、色々と理由はあるだらうが、今はその理由の詮索は置いて、このスタイルが『血と骨』にもたらした効果を考へてみる。それは、主人公・金俊平への評価に関はつてくると思はれるのだ。普通に考へれば、金俊平は恐ろしく利己的で暴力的、且つ強欲で、周りにゐる全ての人間に迷惑と苦痛を与へる存在なので、否定的な評価が下されるだらう。一方、これをピカレスクロマンと捉へれば、そのあまりの悪人ぶり故に、肯定的な評価を与へる事ができる。が、崔洋一のスタイルでは、肯定にしろ否定にしろ、安易に評価を下せないやうになつてゐると思はれるのだ。これは映画『誰も知らない』でとられた、敢へて評価を下すことを避け、中立を装ふ、といつた態度とは、似て非なるものだ。そこにはあからさまに「悪」が描かれてゐるからだ。しかし、「悪」そのものに、一体誰が評価を下せやう。崔洋一は、「悪」を淡々と描くことによつて、さういつた想ひに観客を導かうとしてゐるやうに、私には思はれた。

 それはとにかく、たけしは素晴らしかつた。ババさんも「『ひょうきん族』からのたけしの培つてきた全ての芸が集約されてゐる、ババーン! と、茫然と感動しました」と言つてゐたが、正にその通りだらう。見方を変へれば、かなり「ひょうきん族」みたいな映画なのである。

 たけしに限らず、他の役者さんもみんな良かつた。在日朝鮮人長屋やその人たちの風俗、なども丁寧に描かれ、これも素晴らしい。とりあへずは、暴力シーンが苦手でない人すべてにオススメ、と言つておかう。

小川顕太郎 Original: 2004-Nov-24;
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