京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

Home > Diary > 04 > 1109
 Diary 2004・11月9日(Tue.)

モーターサイクル・ダイアリーズ

 京極弥生座に『モーターサイクル・ダイアリーズ』(ウォルター・サレス監督)を観に行く。ところで京極弥生座は毎週火曜日に「メンズデー」といふ、男性は1000円均一になる素晴らしい制度を持つてゐる。で、今日は私は1000円。メンズデーのおかげか、レイトショーだといふのにほぼ半分ほど席の埋まつた地下の劇場で、鑑賞した。

 さてこの映画は、若き日のチェ・ゲバラが年上の相棒アルベルトとともに、バイクで南米大陸を旅して廻る、といふ当時にあつては(今でも?)無謀としか言ひやうがない冒険を行つた8ヶ月を描く。南米大陸の素晴らしさが堪能できるロードムービーであり、無鉄砲や理想主義や喪失や出発が詰め込まれた青春映画である。なにより気持ちいいのが、そのゴリッとした撮影・演出だ。映画が始まつた途端に、二人はすでに旅行の準備を始めてゐて、洒落たタイトルバックなど一切なしで、真ッ黒な画面の右下に小さく題名や名前が白抜きにされた画面が何度か挿入されるだけのオープニング。ゲバラの家族の様子が映し出され、父親が「(そんな無茶な旅は)絶対に反対だ!」とか言つて揉めてゐるのだけれど、一瞬後にはもう二人はバイクに跨つて旅に出るところで、父親は「お前が羨ましい、オレがもう少し若ければ、お前の代はりにオレがバイクに乗つてゐた」と言つて息子(ゲバラ)と抱き合つてゐる。全てがこんな調子で、ドンドンと旅は、映画は進んでいくのだ。かと云つて、分かりにくいとか、訳が分からないとかいふ事はない。これは映像でも言葉でも同ぢなのだが、伝はるものは「電光のやうに」伝はるのだ。CGのやうな最先端の目眩ましを用ゐたり、委細を尽くしたクドい演出を施しても、伝はらないものは伝はらない。この映画を作つた人たちはそれをよく分かつてゐて、それが気持ち良かつた。

 クライマックスである、真夜中のアマゾン川を泳いで渡るシーン。あそこでは、確実に「なにか」が伝はつたやうである。証拠に、劇場内のあちらこちらからすすり上げる音が聞こへてきた。誰にでもある、なにかを超へるといふこと、生まれ変はるといふこと、喪失と出発、祈り…。私は、うわーこれ撮影大変やなー、とか考へてゐました。

 ゲバラと言へば、ソダーバーグ監督がデル・トロを使つてゲバラの映画を撮る予定があるさうだが、『モーターサイクル・ダイアリーズ』のウォルター・サレス監督は、「何でそんな事をするのか? 英語で撮るんでせう? そんなゲバラは考へられない!」とコメントしてゐた。確かに、そりァさうだ。もちろん、『モーターサイクル・ダイアリーズ』はスペイン語である。さて、ソダーバーグはどうするつもりなんでせうか。

小川顕太郎 Original: 2004-Nov-11;