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 Diary 2004・3月11日(WED.)

テン・ミニッツ・オールダー
人生のメビウス

 みなみ会館にて映画『テン・ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』を観る。これは 15 人の監督による 10 分づつの映画のコンピレーションで、『人生のメビウス』『イデアの森』の 2 本分のフィルムにまとめられてゐるのだが、私はそのうちの『人生のメビウス』の方だけを観たのだ。本当は 2 本とも観るのが筋なのだが、どうしても 1 本分しか観る時間がなかつたので、さてどちらを観るかと考へた時に、それぞれの監督名をザッと見て、躊躇なく『人生のメビウス』の方にした。こちらの方に、好きな監督が集中してゐたからだ。アキ・カウリスマキ、ビクトル・エリセ、ヴェルナー・ヘルツォーク、ジム・ジャームッシュ、ヴィム・ヴェンダース、スパイク・リー、チェン・カイコーの 7 人。凄い、クラクラと眩暈がするやうな豪華なメンツだ。実際映画の方も、芳醇なワインを次々と飲み干すやうな、充実した素晴らしい体験であつた。

 まづトップのカウリスマキからして、いつもながらの滋味溢れるとぼけた感じを 10 分間に漲らせ、人生の極点を描ききつた素晴らしいもの。映画そのものの時間と、映画内の時間を意図的に混同させることによつて、オトボケ感が十全に生きてゐる。次が、たぶん今回の映画の目玉であらうビクトル・エリセの 10 年振りの新作。スペインの片田舎の、物憂くも充実と至福に満ちた 10 分間を描く。紛れもないエリセ印が横溢してゐるのに感動。あのクソ長く退屈ながらも素晴らしかつた『マルメロの陽光』と同じものが、この 10 分に込められてゐる。個人的には、このコンピのベスト作品。

 次はヘルツォーク。『テン・サウザンド・イヤーズ・オールダー』と題して、1980 年代まで近代文明と無縁に過ごしてきたブラジルのウルイウ族が、近代文明と接触してからの 20 年でどうなつてしまつたか、を描くドキュメンタリー。これも着想の卓抜さと貴重な映像によつて、様々な深い思考へと導く良作。いかにもヘルツォーク的なアプローチだ。

 続くはジム・ジャームッシュ。禁煙ファシズムに支配された母国アメリカを挑発するかのやうな、痛快な作品。やはり 10 分間を潰すとなれば、タバコに優るものはないだらう、と。クロエ・セヴィニー、初めて良いと思ひました。

 ヴェンダースは、なんともイナタイ作りで、やつぱりヴェンダースってダサいかも、と思ひながら、そのチョットくさい所がとてもいい。ヴェンダース節炸裂で、好きな人には堪らないでせう。

 次のスパイク・リーは、個人的には一番期待はずれ。ブッシュとゴアの選挙戦の内幕を暴くドキュメンタリーなのだけれど、こんなのは別にマイケル・ムーアとかに任せておけばいいんぢやないか、とか思つてしまつた。まァ、スパイク・リーのファンなだけに、色々と勝手な事を望んでしまうのだらうと思ふ。厄介なものだな、ファンといふのは。

 ラストはチェン・カイコー。アジア人だからか、この一編だけ他とは趣が違ふやうな気がする。たぶん、全く違ふ事を考へて撮つてゐる。ラストを締めくくるにはふさはしいかも。激変する北京の街並みが興味深いです。

 と、書かずもがなの各作品に対するコメントを書いてしまつた。それだけ面白かつたといふ事だ。さういへば各作品を繋ぐ音楽がヒュー・マセケラで、こちらもなかなか良かつた。ちなみにその時の映像は水。巻頭に引かれる言葉はマルクス・アウレリウスの『自省録』から。日本人なら鴨長明を引くところだらう。帰りにはレストランでワインを飲みました。

小川顕太郎 Original: 2004-Mar-13;