京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

Home > Diary > 04 > 0623
 Diary 2004・6月23日(WED.)

静かにやつてくる

 ハッシー & YO ちゃん来店。ハッシーは先日、マツヤマさんから借りたビデオ『殺しが静かにやつてくる』を観たさうで、どうだつた? と尋ねれば、「いやー、あの主人公に憧れます。あんな風にボクもなりたいですわ」と答へる。この映画の主人公は、子供の時に悪人たちの秘密を見てしまい、口封じのために喉を切られ、口亞(オシ)にされてしまつた、といふ設定である。ハッシーも喉を切られたいのか、と不思議に思つたのだが、よく問ひ質すと、ハッシーの意図するところは、「黙つてゐても存在感のある男」になりたい、といふ事のやうであつた。なるほど、ハッシーはひたすら休み無く喋り続けることである種の存在感を示さうとするからなァ。

 ところで、この話を聞いてゐた YO ちゃんが「ホンマに喉、切つて貰つたら」と言ひ出したので、ハッシーがこんなこと言ふんですよ! どう思ひます?」と騒ぎ出す、といふ事態になつた。YO ちゃんの言はんとする事は、「黙つてゐても存在感のある男になりたい」とペラペラと喋り続けることは滑稽だ、といふ事だと思ふのだが、案外、本当に喉を切られてみるのもいいかもしれない。主人公の醸し出す存在感の源は、喉を切られながらも復讐を遂げやうとする、といふ、その試練にあると思はれるからだ。我に艱難辛苦を与へたまえ、ハッシーの好きな淀長の言葉で言ふと「ウエルカム トラブル。苦労歓迎」。艱難辛苦のみが、人間に存在感を与へる。もしかしたら鬱や胃潰瘍も与へるかもしれないが、それもまた良し。話のネタにもなる。良いことずくめだ。この日記へのネタ提供をお待ちしてをります。

小川顕太郎 Original: 2004-Jun-25;