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 Diary 2004・6月9日(WED.)

映画少年 ハッシー

cover

 ハッシー来店。「『イレイザーヘッド』 良かつたです! もう、ど真ん中でした。ボクが子供の頃から、こんなんが面白いなー、と妄想してゐたもの、そのまんまで、ビックリしました!!」と興奮気味に語る。確かにノートにも、ビッシリとなにやら気になつた事が書かれてゐる。で、どういつた所が面白かつたかをきいてみると、エレベーターの扉が最初はユックリ開閉してゐたのに、2 回目からはサッと素早く開閉するところ、なんかに異常に反応してゐるやうなのだ。うむ、正にハッシーは映画のみかたが分かつてゐる、としか言ひやうがない。これは ババさんもハッシーに言つてゐたけれど、映画において、極端な言ひ方をすれば、ストーリーといふのは副次的なものでしかない。光と影、そしてトーキー以降であるならば、音との戯れこそが映画の核心をなしてゐるもので、ストーリーは、それらを作り上げるためのアリバイのやうなものなのだ。だから映画を「観る」とは、エレベーターの扉が 2 回目以降はサッと閉まるやうになつた、といふ事を観る事なのである。

 実のところ、映画を観るにはある種の才能と、訓練が必要だ。映画が好き! と言つておきながら、生まれてから一度も映画を「観た」ことがない、といふ人が、世の中には案外多いものなのである。その点ハッシーは、生まれつき映画を観る才能があつた、と思はれる。淀川長治は、雨の日に水たまりに雨が降り注いで波紋を作る様子だとか、電車に乗りながら見る微妙な変化を繰り返す線路の様子なんかを、ジッと眺め続けるのが大好きな子供だつたやうだが、かういふのが映画を観る才能である。ハッシーもさういふ子供だつたのではないだらうか。せつかくの才能なのだから、訓練によつて大いに伸ばしてほしいものだ。

 ところでハッシーは、淀川長治のファンになつたやうだ。DVD にたまに入つてゐる淀長の解説が無類に面白いらしく、淀長の解説ばかりを集めた DVD とか有りませんかねェ? と言つてゐるぐらゐである。ハッシーも子供の頃は、淀長のことを単なる変なオジサンと思つてゐたやうで、「なんでこの面白さに気がつかなかつたんだー!」と、すでに淀長が没してゐることを思ひあわせて、激しく後悔してゐる。ではそんなハッシーに、『映画少年・淀川長治』 荒井魏著(岩波ジュニア新書)と『わが映画人生に悔なし』 淀川長治著(ハルキ文庫)を薦めやう。この 2 冊なら、本なんか読んだ事もないし、読むのは一寸無理、と言つてゐるハッシーにも読むことができるだらう。きつと、得るところ大だと思ふ。是非、読んで下さい。

小川顕太郎 Original: 2004-Jun-11;
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