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 Diary 2004・6月7日(MON.)

続 脳死・臓器移植の話

 昨日は脳死・臓器移植に反対する理由を、主に科学的な側面から述べた。脳死者はそもそも死んでゐない、つまりは生きてゐるんぢやないか、といつたやうな事だ。今日は主に思想的な側面から、反対する理由を述べてみようと思ふ。

 実を言ふと、欧米でも一流の学者の間では、脳死者は死んでゐない、といふ事は認められつつあるやうなのだ。実際、研究が進むにつれて、脳死者は死んでゐる、といふ根拠がドンドン崩れていつてゐるのだから(といふか、ほぼ崩壊してゐる)、当たり前の事だらう。では、脳死・臓器移植を廃止しよう、といふ方向に欧米社会が進んでゐるか、といふと、これがさうではないのだ。恐ろしい事に、脳死・臓器移植が隠し持つてゐた「思想」が、ここに来て剥き出しになつてきたのである。それは「優生思想」である。

 彼らはかういふ。脳死者は、確かに死んでゐないかもしれない。が、ほぼ精神がまともに機能しないやうな「生」は、あまり質の高い「生」とは言へないだらう。それなら、まともに精神が機能してゐる人たちに臓器を提供し、さういつた人たちを生き延びさせた方が、社会のため、人類のためになるのではないか。…これは、完全に「優生思想」である。「優生思想」と言へば、ナチスがそれに基づいて行つた政策、精神障害者や身体障害者、同性愛者やユダヤ人などを、「劣つた生」として抹殺する、が思ひ浮かぶ訳だが、考へてみれば、ナチスの連中も、抹殺された人々の身体を使つて人体実験を行つたりしてゐた訳だから、現在の脳死・臓器移植の考へ方と完全に通底する訳である(実際、ナチスの行つた人体実験によつて、医学は飛躍的に進歩した、とも言はれる)。そもそも「優生思想」の本場は、スウェーデンなどの北欧諸国であり、ナチスも北欧のマネをした訳だが、戦争に負けたためにナチスの優生思想は弾劾された。が、北欧諸国は敗戦しなかつたために弾劾を免れ、戦後もズーッと、精神障害者の強制不妊手術などの「優生思想」に基づいた政策を行つてゐた訳で、欧米社会には根強い「優生思想」の伝統があるのであつた。そんなものが、グローバル化の波とともに日本に入つてきたら、コリャ堪らない。

 このやうに脳死・臓器移植といふ考へ方の背景には、「優生思想」といふ恐ろしいものが控へてゐるのである。脳死者は死んではゐないけれども、精神がほぼ死んでゐるので死者とみなしてよし、などと言ふ考へが通つてしまうと、ぢやあ植物人間や痴呆状態の人間も死者とみなしていいんぢやない、といふ事になつて、さらに、精神障害者、同性愛者、オイシンのやうに精神が死んでゐるとみなされる人間、といふ風にとめどもなく死者の範囲が広がつていく恐れがある。人種差別と結びつけば、ホロコーストだ。無茶苦茶な話だが、十分にあり得る話、といふ所が恐ろしい。

 それにしても最近の日本は、健康増進法や著作権法改正、有害コンテンツ規制法に、臓器移植法改正と、どんどんナチスに似てきてゐるんですけど、一体どういふ事なんでせうか。

小川顕太郎 Original: 2004-Jun-9;