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 Diary 2004・6月3日(THU.)

イエス

 私は本年度、町内の副会長とともに福祉委員といふ役目も仰せつかつてゐる訳だが、この福祉委員の仕事のひとつとして、75 歳以上の独居老人の家を訪ね、布団の丸洗ひサービスの注文を受けてくる、といふのがある。一枚 500 円で 2 枚まで、注文する人からお金を預かつてきて、それをまとめ、福祉委員長の所に持つて行くのだ。本日はオパールが休みなので、こちらの仕事の方をやる事にした。

 まづ驚いたのは、狭い町内なのに、75 歳以上の独居老人の数が多いことだ。15 人もゐる。ちなみに町内の家の数は約 70 軒なので、5 分の 1 以上の家に、75 歳以上の老人が一人で暮らしてゐる事になる。多い、と思つたのだが、さうでもないのだらうか。

 町内には普段はまづ入らないやうな細い路地があり、だいたいさういつた所に独居老人の人たちは住んでゐるので、一寸ドキドキしながら路地に入り、家を探す。表札はついてゐるので家はすぐにみつかる。が、呼び鈴がない所が多い。仕方がないので、ノックをしたのちドアを開ける。鍵はまづ掛かつてゐない。奥に向かつて呼びかけても、テレビの大きな音がするばかりで返事がないので、そのままズット奥に入り、本人を見つけ声をかける。だいたい、小さな可愛らしいお婆さんが多く、布団丸洗いサービスの説明をすると、毎年やつてゐる事なのですぐに事情を飲み込み、大概は「別にいいです」と断る。たまに注文する人がゐても、500 円が手元にないので、明日もう一度来てほしい、と言はれる。なるほど。この人たちは普段、どのやうな暮らしをしてゐるのだらうか、などと思つてみる。1 時間ほどで全部の家を廻つたが、留守の所も何軒かあつた。後に、これらの家はすでに空き家になつてゐたことが分かつた。

 映画『パッション』を観る代はりに、マンガ『イエス(安彦良和著・NHK 出版)を読む。世の中には、キリスト教には批判的でもイエス・キリストには好意的、といつた考へ方がある。実は私もさうなのだが、このマンガも、さういつた視点で描かれてゐる。キリスト教は、直弟子ではないパウロによつて打ち立てられた「パウロ教」とでも言ふべきものなのだ、だから聖書(新約)に描かれてゐるイエスの虚像の中から、真のイエスを見いださなければならない。安彦良和は、ヨシュアといふ人物を創造して主人公にたて、彼を通して「真のイエス」を描き出さうとする。その試みは、大いに成果をあげてをり、私はとても感動した。物事が異常によく見えてゐながらも信仰を失はない希有の人物として、イエスは生々しくリアルに描かれてゐる。このイエス像は、現代にも十分に有効だと思はれる。現代の小賢しい合理主義・科学主義や、その反動としての原理主義・狂信、どちらも吹き飛ばす程のサムシングが、このイエスにはある。『パッション』を観た人にも観てゐない人にも、みなさんにオススメしたい。

小川顕太郎 Original: 2004-Jun-5;
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