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 Diary 2004・7月27日(TUE.)

中島らも

 オイシン来店。「中島らもが死にましたねー」と開口一番に言ふ。私とトモコはそんなニュースは知らなかつたのでビックリし、オイシンに説明を求めると、「実はボクもさッきヤフーニュースで知つたんです。最新情報ですよ」と答へた。

 中島らもが死んだ、と聞いて、私はまづ「オーバードーズか」と思つたのだが、オイシンによると酔ッ払ッて階段から落ち、頭部を強打して脳挫傷、何日かの入院治療の後、結局意識が戻らずにそのまま亡くなつた、との事だ。うーん、さうかー、中島らもが死んだかー、色々と複雑な感慨があるなー。

「今までサラサにゐて、そこでもこの話題を出したんですけどね、何故かみんなサッカーのラモスと勘違ひして、大騒ぎしてゐるんですよ。最初は冗談かなー、と思つたんですけど、どうもみんな真剣に間違つてゐるみたいなので、ラモスぢやなくて『中島らも』が死んだの! と念を押せば、ああ、さう、と、えらい反応が薄いんですよ。」とオイシン。

 うーむ、みんな、中島らもとかよく知らないのかなー。私は、特に好きだつた訳でもないが、様々に複雑な思ひがあるけどなー。

「中島らもと言へば、やはり『微笑家族』よねー。てッちやんパパの与へた影響は大きいと思ふわ。それから私が大学生の時に、近くの本屋にサイン会に来てゐたので、たまたま寄つて『明るい悩み相談室』にサインして貰つた事がある。けど、あの本、どこやつたかなー? …と、『なげやり倶楽部』の公開録画に、なぜか行つた事があるわ。ポートアイランドまで。あの番組、すぐ終はつたのよね。…劇団(リリパット・アーミー)とバンドには何の興味もないから、私。本人は力を入れてゐたみたいだけど。かう考へると、60 年代を引きずつた人だつたわねー」と、これはトモコの感想。

 確かに、青春時代に 60 年代革命の波をモロに被つて、そのままアル中、ヤク中で突ッ走ッた感はある。可能涼介が、一度なにかの仕事でインタビューをしたことがあつたけれど、その時の中島らもはオムツをして、トイレと机の間を往復するだけ、外出はできない、といつたボロボロの状態だつたさうだ。その後、少し回復して、クスリで捕まつて、出所後はまた活発に活動を再開したなー、と思つてゐた矢先のこの訃報。3 人の人間から「35 歳までに死ぬ」と予言され、本人も些かそれを信じてゐたと言ふ中島らも。結局 52 歳まで生きた訳で、これは長かつたのか、短かつたのか。御冥福をお祈りいたします。

小川顕太郎 Original: 2004-Jul-29;