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 Diary 2004・4月22日(WED.)

マルキ・ド・サドのジュスティーヌ

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 DVD で『マルキ・ド・サドのジュスティーヌ(1968 年)を観る。なぜこのやうな映画を観たのかと言へば、実は少々因縁があるのだがそれを述べると長くなるので省略する。で、この映画、主演のジュスティーヌ役にタイロン・パワーの娘のロミナ・パワー、サド役にクラウス・キンスキー、他にもジャック・パランスやシルヴァ・コシナなど、かなり錚々たるメンバーが出演してをり、監督はユーロ・トラッシュ映画の雄ジェス・フランコ! で、原作はサドの『ジュスティーヌ あるいは美徳の不幸』なのだから、当然さまざまな背徳・悪徳・残虐が描かれる訳で、もしかしたら面白いかもしれない、と思はせるのだが、もちろんそんな事はなく、まさにユーロ・トラッシュ=ヨーロッパのゴミ映画であつた。

 最初の 15 分ほどでほぼ忍耐の限界を迎へるほど退屈であつたのだが、この映画、2 時間もあるのだ。その後の 1 時間 45 分を、私は渾身の忍耐力によつて、それでも 5 分ごとに時計で時間を確かめながら耐へ抜いた。その間、それにしてもここまで退屈な作品を作るのはやはり凄いことではないか? といふ錯誤に何度も陥りかけたりした。サドの作品の持つある種の退屈さ、これを忠実に映画化してゐるのではないか、とか。とは言へ、やはり、早く終はれ! 終はつてくれ! といふのが私の観てゐる間の心の叫びであつて、その願ひがかなつたのか、退屈さに耐へかねて憤死する前にどうやら話はクライマックスを迎へ、私は少し気持ちが緩んだのだが、これがいけなかつたやうだ。話は、とんでもない展開をし始めたのだ。

 原作を読んだ人なら知つてゐる通り、この話は、あくまで悪徳を実践して栄へまくる姉のジュリエットと、美徳を守り抜いたために悲惨な目にあひ続ける妹のジュスティーヌの対比を描いた話である。ラストでは、ジュスティーヌはジュリエットに悲惨な境遇から助け出して貰ふのだが、それも束の間、雷に打たれて惨死してしまう。映画においても、ジュスティーヌは、姉のジュリエットに救われる。そこは同じだが、そこでジュスティーヌはとんでもない事を言ひ出すのだ。悪徳の限りを尽くして繁栄した姉を見て、「わたし、間違つてゐたわ。これからは生き方を変へるわ。」と言ふのだ! それに対してまたジュリエットが、「いえ、あなたは正しいわ。私はかう見えても、中身は空ッポ。虚しい人生だつたわ。あなたのやうな美徳に生きた人が、真の幸福を得るのよ」などと言ひ出して、実際、ジュリエットは後の人生を幸せに過ごしました、と終はるのである。

 私はこのラストの数分間を、まさか、まさか、と危惧しながら、それまでの約 2 時間とは反対に、このまま終はるな、終はるな! と、時計と必死で睨み合ひをしながら祈るやうな気持ちで観てゐたのだが、願ひは虚しかつた。見終はつた後に、激しい虚脱感に襲はれた…。

 これを観て、パゾリーニの『ソドムの市』がいかに優れた映画であるかを、再確認した。やはり、支へてゐる哲学の違ひなのだな、映画の面白さは、うむ。が、別に嫌いではない、この『マルキ・ド・サドのジュスティーヌ』。と、言ふか、結構好きかも。好き嫌いと、面白い面白くないは別なのであつた。

小川顕太郎 Original: 2004-Apr-24;
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