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 Diary 2004・4月21日(TUE.)

 雑誌「新潮 45」を読んでゐたら、高島忠夫の手記が載つてゐた。高島一家と言へば、お手伝ひさんに子供を殺されたりと、一見明るく見えるがその内実は…、と言つたイメージがついてまはるが、そのイメージを裏付けるかのやうに、なんと! 高島忠夫はここ何年も酷い鬱病にかかつてをり(現在は回復期)、家族は本当に大変だつたさうだ。それもかなりの重度の鬱病で、まばたきする事もできず、能面のやうな表情でジッと固まつてゐる、といつた状態だつたさうで、現在回復しつつある高島忠夫本人によると、その当時の記憶はほとんどない、との事だ。

 私は全くこの事を知らなかつたのだが、ユキエさんが「高島忠夫ッて、老人ボケなんですよね」と言つてゐたので、世間的には、幾分かの誤解を孕みながらも、高島忠夫の病気のことは知られてゐるやうだ。それにしても鬱とは厄介なもんである。現在の日本では 7 人に 1 人が鬱、とも言はれてゐるさうで、私の周りにも、実際に病院に通つてゐる人から自称「鬱」の人まで、色々なタイプの人間がゐる。私自身もムラッ気があるからか、「鬱ぢやないの」と冗談めかして言はれる事があるが、もちろん鬱ではない。確かに、何もする気が起きずに、といふか動けないままに床に転がつてゐて一日を過ごす日がないではない。一年のうちに 2 、3 日は、不眠に悩まされることもある。しかし、それぐらゐの事では「鬱病」とは言へないだらう。単なる精神の乱れだ。

 高島忠夫の手記を読むと、それは突然やつて来るさうだ。ある朝起きたら、いきなり鬱だつたのだといふ。もちろん、記憶は捏造・改変されるものだから、なんらかの前兆みたいなものはあつたのかもしれないが、とにかく本人は全く意識しないうちに突然、鬱状態へと落ち込んでしまつたさうなので、これはかなり病気ッぽい。何年も動けず、記憶もないのだから、正真正銘の「鬱病」だらう。そしてそんな高島忠夫でも、妻が看病のストレスから爆発してしまつた時は、付き添つて病院まで行つたさうなので、ある種の「危機感」「緊張」が、鬱状態を緩める、といふ事が言へさうではある。だからこそ、鬱なんかになるのは「危機感」「緊張感」の欠如ぢやないか? 甘えてゐるだけぢやないか? といふ邪推が生まれてしまうのだが、しかし、さうは言つても、最初は「甘え」「逃避」だとしても、最後には自殺にまで行き着いてしまうことが鬱には往々にしてあるので、話はややこしいのだ。

 これとも関係する話だが、鬱病の人に「がんばれ」と言ふことはタブー、と一般的にはされてゐる。頑張らうとしても頑張れないのが鬱状態なので、頑張れない自分によけい嫌悪感を感じて、さらに鬱が悪化する、といふのだ。しかし、これは多少眉唾な話のやうな気がする。実際、高島忠夫は「がんばれ」と言はれても、別に気にならなかつたさうだ。また、リハビリも、ガンガン叱つてくれる厳しいところに変へてから、格段に進んだ、といふ。やはり、厳しさが、それは愛情の別名でもあるが、必要なのではないか、と思ふのだが、なかなか難しい。戸塚ヨットスクールも、死者を出せば、それまでの素晴らしい実績を全て無視されて激しい指弾にさらされた訳だし。

 オイシンは「鬱」といふ漢字が書けるやうになつたさうです。

小川顕太郎 Original: 2004-Apr-23;