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 Diary 2004・4月11日(SUN.)

クイール

公式サイト: http://www.quill.jp/

 MOVIX に『クイール』を観に行く。これは、実際にゐた盲導犬クイールの一生を映画化したものである。

 ところで盲導犬と言へば、私はその存在に激しい偏見を抱いてゐた。それは、人間の眼となるべく、自らの生を奪はれ、奴隷化された奇形的な存在、といふもので、そのやうな非道なことが許されるのであらうか! と、子供の頃の私は闇雲な怒りを抱いてゐたものである。それは多分、子供の頃に、盲導犬の頭を撫でてはいけない、と教へられたことが大きいであらう。盲導犬は、他人が頭を撫でたり、勝手に餌をやつたりすると、盲導犬として役に立たなくなる、と教へられたのだ、確か。これが、生物としての生きる喜びを奪ひ、機械化・機能化する、といふイメージに繋がつたのであらう。幼い頃の私は、盲導犬を見るたびに、激しい胸の痛みを感じてゐたものだ。彼(女)を自由にさせてやりたい! と。

 ところが、この映画を観ると、かなり想像してゐたのと様相が違ふ。みんな平気でクイールの頭を撫でてゐるし、餌なんかもやつてゐる。人間の眼として機械化されてゐる、といふよりは、人間(盲人)の良きパートナーとして、お互いの信頼関係の上にたつて、人間(盲人)を助けてゐる、といふ印象である。もちろん、実話に基づくとはいへ、これはあくまで映画なので、ここに描かれた盲導犬の姿がそのまま 100 %正しいのかどうかは分からない。が、私が幼い頃から抱いてゐた偏見は、かなりの修正が必要なのではないか、と反省させるに十分であつた。少し、盲導犬について勉強してみなくてはならないな。ありがたう、クー!

 映画は全体にあつさりと、劇的な展開もなくサラリと描かれ、登場人物の人たちが微妙に上滑りな演技(私の偏見か?)なのが少し気になつたが、犬のクイールがとても素晴らしく、色々と考へさせられ、大いに泣かされたりして、楽しめるものであつた。ラストはクイールの死で終はるのだが、その時に、これは私の聞き間違ひ・記憶違ひに由来すると思ふのだが、クイールの年齢が私の頭の中で合はなくて、困つた。確かクイールは 1 歳までパピーウォーカーのもとにゐて、約 2 年半、渡辺さんのために働き、3 年ほどの入院・闘病生活の果てに渡辺さんが死んだ後は、盲導犬訓練センターに引き取られ、7 年後、もとのパピーウォーカー夫婦の所に戻つて、そこで死を迎へるのだが、それだと、どう考へてもクイールは 14 歳以上でなければならない。しかし、クイールは死ぬ時に、確か 12 歳か 13 歳か、とにかく 14 歳よりは若い年齢である事がナレーションで告げられるのだ。私は、おかしいなァ、計算違ひかな、記憶違ひかな、それとも聞き間違へたか、などと頭の中がグルグルして、ちつともクイールの死の場面に集中できなかつた。残念!

 映画終了後、オパールに行くとユキエさんから「虐待でもされてゐたんですか?」と言はれた。泣きすぎて眼が腫れてゐたやうだ。いかん、仕事前に観るもんではないな、と思ひましたー。

小川顕太郎 Original: 2004-Apr-13;