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 Diary 2003・9月23日(TUE.)

ワールドワイド・
アンダーグラウンド

 エリカ・バドゥの新作『ワールドワイド・アンダーグラウンド』を今聴き終へた所である。たつた一度聴いたぐらゐでこんな事を言ふのもどうかと思ふが、このアルバムは傑作である。私は今、興奮状態にある。このアルバムを絶対に支持する。なんで、「支持する」などと言ふのかといふと、このアルバムは評価がかなり分かれてゐるやうだからだ。それは、分かる。なぜならこの作品は、いはゆるコンシャスな作品であるからだ。コンシャスな作品とは何か。それは、現在のヒップホップや R & B の定型から大きくはみ出した、意欲的 & 実験的な作品である、といふことだ。このやうな作品は、当然のごとく評価が分かれる。今年出た作品の中で、コンシャスな作品として話題になつたのは、何と言つてもルーツの新作とコモンの新作だらう(ちなみに、エリカ・バドゥは彼らと仲がよい。っていふか、コモンとは恋人)。しかし、私が引つ掛かるのは、ルーツやコモンの新作は、「これは評価が分かれるだらう」といふコメントつきで、大体に於いて絶賛状態であつた事だ。まァ、日本には音楽ジャーナリズムなどなく、基本的に全て提灯記事ばかりなので、これも当然か、と思つてゐたのだが、このバドゥの作品は、結構否定的な評価がなされてゐたりするのだ。つまりちやんと評価が分かれてゐる。これはどういふ事か。ジャーナリズムが機能したのだらうか。私にはどうもさうは思へない。正直言つて、私はルーツやコモンの新作は、ちつとも良いと思はなかつた。

 これは、一見趣味や考へ方の違ひのやうに思へるだらう。私がルーツやコモンの新作を否定し、エリカ・バドゥの新作を支持するのは、それと逆さまの評価を下す人々と、趣味や考へ方が違ふのだと。が、私が気になるのは、エリカ・バドゥの事を非難する人々が決まつて口にする「彼女の戦略性が鼻につく」といつた類の言葉だ。実は、彼女は常にこのやうな非難を受けてきた。この非難は、分かるやうでゐて、実はよく分からない。ルーツやコモンは真摯に音楽を追究した結果、コンシャスな作品ができてしまつたのだが、エリカ・バドゥはその方が格好いいと思つて「戦略的に」コンシャスな作品を作つた、とでも言ひたいのだらうか。確かに、エリカ・バドゥは自分を演出することに於いて巧みで、隙がない。自然体、といふ感ぢではない。しかし、私の考へでは、そのやうな態度は「戦略性」といふより、「お洒落」なのだ。実際、エリカ・バドゥはとてもお洒落である。女性がお洒落に自分を飾つて(戦略的に自分をよく見せて?)何が悪いと言ふのだらうか。女の人は、完璧に自分を格好良く演出しやうとするより、ちよつと抜けてゐるぐらゐの方が可愛いとでも言ひたいのだらうか。釈然としない。

『ワールドワイド・アンダーグラウンド』、評価の分かれる作品ですが、是非みなさんに聴いて貰ひたい。今年最大の問題作のひとつでせう。私は支持します。…もう一回聴かうッと。

小川顕太郎 Original:2003-Sep-25;