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 Diary 2003・10月25日(SAT.)

六轡会篆刻作品展

 京都文化博物館に「第 22 回 六轡会篆刻作品展」を観に行く。会場に入つて、まづ左側の壁から観て行く。最初は井谷五雲先生の作品。比較的大きな紙に、比較的大きな字がバーッと書いてあつて、比較的大きな印がバンッと押してある。通常のサイズ感覚が少し狂はせられるやうな作品群。かういふのは単純にカッコヨイ。例によつて何が書いてあるのか読めず。勉強不足を恥じつつ、次の真鍋井蛙先生の作品へ。こちらは、まづ紙の中程に印がひとつ押してある作品がいくつか続き、その後、小さな銀色の紙に一字だけ書いてある作品が続く。さすがに、こちらの方は読める。印はどうやら色んなお寺の印のやうだ。字は、「月」とか「雲」とか…。が、読めても、その意図するところがよく分からない。ミニマム故に難解、といふことか。こちらの教養不足を嘆きつつ、次の小朴圃先生の作品へ。

 小先生の作品は、とにかく長ーーーい。いや、横幅が。ほぼ会場の壁ひとつをほとんど使つた作品である。そこに夏目漱石の漢詩がいくつかズラズラと書いてあつて、印がいくつも押してある。むろん、私は漢詩が読めない。だから何が書いてあるのか分からないのだけれど、小先生の「書き損じはあつても間違ひはない」と言ひ放たれる流れるやうな書は、まるで川か霧、山肌のやうで、字と印によつて描かれた山水画、といふ趣である。この作品の隣に、漱石の有名な「則天去私」といふ言葉を書いた作品もあり、こちらは縦書きの通常サイズなのだけれど、これが隣の長ーーーい作品の題字のやうにも見える。つまり、これら二作品でひとつの作品を構成してをり、こちら側の壁全部が、この作品のために存在するかのやうに錯覚する雄大な作品なのだ。

 その大きさに、しばし圧倒される。とはいへ、所々その朱が目を射る方寸の世界に込められたモノの方が、その雄大な作品そのものより遙かに大きい、といふのが、篆刻の奥深いところなのだらうが…。私は自らの修練不足を思ひ、小先生への挨拶もそこそこに、会場を辞した。

 本日、店はそこそこ忙しかつた。街にも人が溢れてゐたやうだ。映画『キル・ビル』の公開日だからか? 『キュピキュピ』の公演初日だからか? 給料日で且つ土曜日だからか? なんにせよ、店に活気があるのはいいことです。

小川顕太郎 Original:2003-Oct-27;