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 Diary 2003・10月22日(WED.)

小国寡民

 日本ではこのところ、少子高齢化を憂へる議論が盛んであるが、私はこの議論にはずつと違和感を持つてゐた。そもそも、日本は過剰な人口に悩んでゐるんぢやなかつたのか。この過剰な人口増といふのは、何も日本に限つた事ではなくて全世界的な現象で、この異常な人口増によつて環境が破壊され、このままいけば将来的には燃料と食糧の不足による大惨事が必ず訪れる、と幼い頃から教へられてきた。また、今でもこの問題は全く解決してゐないと、私は考へてゐる。特に日本は食糧自給率と燃料自給率がもの凄く低い国なので、過剰人口は深刻な問題のはずだ。だから、人口減に繋がる少子高齢化はむしろ歓迎すべき事ではないのか、と私はずつと思ひ続けてきたのだ。なぜ、憂ふのか。

 むろん、少子高齢化を憂ふ人たちの主張は知つてゐる。まづは年金問題に典型的に現れてゐるやうに、老人に対する福祉費が不足する、といふこと。さらには、若者が減ることによる国力の衰へに対する憂慮だらう。しかし、これらの主張はどうにも納得がいかない。私は基本がアンチ福祉のリバータリアンなので、福祉費が足りなければ止めればよい、と単純に思ふ。人間は死ぬまで働くのが一番いいのであつて、働けなくなれば、働いてゐる人たちのサポートに回るべきで、単なる福祉の金食ひ虫になるのは望ましくない、と考へる。また、若者の減少=国力の低下、といふ考へもどうか、と思ふ。今の若者に較べれば、高度経済成長を支へてきた今の高齢者たちの方が力になる、といふ側面もあらうし、たとへさうでないとしても、若い人たちのサポートに回ることで、十分力になると思ふ。何も憂ふことはない。

 かういふ意見に対して、さうは言つても高齢者の働き口などない、といふ反論が出るかもしれない。しかし、それは社会制度の問題であつて、高齢者も働けるやうに仕組みを変へれば良いのだ。それでも絶対的に働き口が不足してゐる、といふのなら、それは不況といふことであつて、少子高齢化とは関係がないだらう。大体、物事を対処療法的、近視眼的に見過ぎなんだよ。もつと長い目で見ないと…

 などといふ事を、私は普段からブツブツ言つてゐたのだが、雑誌「新潮 45」11 月号に、私の主張とほぼ同じ論旨の文章が出て快哉を叫んだ。大濱裕「少子高齢化、ええじゃないか」。この文章では、先進国ではどこでも少子高齢化が進んでゐるが、騒いでゐるのは日本だけといふこと、少子高齢化に対処するのに移民受け入れを促進するのは愚の骨頂であること、少子高齢化はかへつて日本を強くするかもしれないこと、などが説かれてゐる。一読に価する。

 私はやはり、小国寡民が理想ではないか、と心の底で考へてゐるものである。これ以上人口を増やしたり、社会を複雑にしてどうすんねん、といふ思ひが強い。こんなこと言つても詮無いのだが。

 少子高齢化、なんぞ憂ふことあらん。

小川顕太郎 Original:2003-Oct-24;