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 Diary 2003・10月19日(SUN.)

皇后美智子さま
51人の証言

 雑誌「文藝春秋」11 月号を購入。「皇后美智子さま 51 人の証言」といふ特集をやつてゐたからだ。私はかういつた特集が好きで、たいてい中身は当たり障りのない賛辞で溢れてゐるに決まつてゐるのだが、ついつい読んでしまう。今回も、別にどうといふことのない文章が並んでゐたのだが、それなりに楽しく読んでしまつた。

 ところで、これは高島俊男がエッセイ『お言葉ですが…』で書いてゐるのを読んで以来、全くその通りだ! と思ひながら深く悩んでゐる事柄なのだが、「美智子さま」といふ呼び方は失礼極まりないものである。日本では、年上の人や自分より身分の高い人、女性の名前(本名)を呼ぶのは非常に失礼なことなのだ。本来は。その人の本名を呼ぶといふことは、その人自身に触れるのと同じことなので、女性の場合は、身体を許す、といふのと同じ意味合ひになる。確かに和歌などでは、「名前を教へろ」「いや、教へない」といつたやり取りが多い。それが正に「ヤらせろ」「いや」といふ意味だ、といふことは、学校の授業で習つて知つてゐた。また、自分の両親や兄姉のことを名前で呼ぶ人がたまにゐるが、さういふのを聞くと、何とも言へず不快な感ぢがするのも事実だ。女性に関しても、気安く名(姓ではなく)を呼ぶのは憚られるので、名字の方で呼ぶやうにしてゐる。つまり、かういつた日本古来のタブーについて、分かつてゐたはずなのに、なぜか「美智子さま」に関しては、思ひ至らなかつたのだ。もう、物心ついた時から「美智子さま」と聞かされてゐたからなァ。不覚。

 私は、かういつた日本古来のタブーは守るべきだ、といふ考へに立つものである。タブーとは、美意識に関はる。それは日本古来の美意識を守ることに通じるのだ。だつて、やはり自分の両親や兄姉を名前で呼ぶ奴は、気持ち悪いもの。だから、これからは「美智子さま」ではなく、ちやんと「皇后陛下」と呼ぶやうにしやう。「雅子さま」ではなく、「皇太子妃殿下」と呼ぶやうにしやう、と思ふ。のだけれど……ま、基本ラインはね。でも、すでに「美智子さま」はそれだけで固有名詞になつてゐるやうな気もするし…。

 いろいろと難しいやね。

小川顕太郎 Original:2003-Oct-21;