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 Diary 2003・11月11日(TUE.)

銀幕演歌

 コータローくん来店。露出計を購入する予定があるらしく、パンフレットを前に思案顔だ。そこに後ろからトモコが寄つていつて、「ハー!」と斬りつける。

「うわァ! 何ですか、トモコさん! 何の真似ですか」

「ホホホ、居合ひ斬りよ。座頭市、あるいはオーレン・イシイよ」

「ああ、居合ひですか。ボクも、居合ひはやつてみたいんですよねェ…ハー! ター! …こんな感ぢ?」

「ホホホ、何だかタケシっぽいわねェ。タケシも良かつたけど、でも、やはり座頭市なら勝新よねー。格好いいわー。どう、コータローくんはどつちが好き?」

「え、ボクはもちろん、ビヨンセが好きですよ。ビヨンセ、愛してますから。」

「ホホホ…ハー!!」

「うわぁ!!」

 ところで『銀幕演歌』といふコンピレーション CD がある。これは主に任侠・ヤクザものの邦画の主題歌を集めたもので、『キル・ビル』でも使はれた梶芽衣子『修羅の花』『怨み節』も収録されてゐるし、渡哲也『東京流れ者』・菅原文太『吹き溜りの詩』のやうな定番の名曲も、またその筋では大人気の梅宮辰夫『番長シャロック』『シンボルロック』も収録されてゐるといふ素晴らしいものなのだが、ひとつ難点がある。

 それは題名の『銀幕演歌』の「演歌」の部分に「ロック」と上から書きつけてある事だ。つまり、これは「銀幕演歌」と書いて「銀幕ロック」と読ます、従来なら「演歌」と呼ばれるであらうこれらの曲を「ロック」として捉へ直す(そして若い人たちにアピールしやうとする)企画盤なのだ。しかし…それは違ふであらう。そんな事をすれば、「演歌」に対して失礼である。企画者たちはもちろん良かれと思つてやつてゐるのだらうが、完全にずれてゐる。今や「ロック」など最もダメな音楽であり、そのやうなものに擬されれば、かへつてこれらの名曲群を殺してしまう事になる。やるならば、「銀幕演歌(ソウル)」とすべきだらう。

 それにしても、推薦文を寄越してゐる人々の面子を見ると、暗い気分になる。パンク・ニューウェーブ系の人ばかり。かういつた人たちが「これぞ日本のオリジナルパンクだ!」なんぞと言つてゐるのを見ると、脱力のあまり死にさうになる。生き延びたパンクほど醜いものはない。早く成仏してください、と言ひたい気持ちでいつぱいだ。……ハー!! ……また、つまらないものを斬つちまつた。

続★銀幕演歌』も素晴らしいです。

小川顕太郎 Original:2003-Nov-13;