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 Diary 2003・11月3日(MON.)

キル・ビル
Vol. 1

 実を言ふと昨日、MOVIX にて『キル・ビル Vol.1』(タランティーノ監督)を観てきたのであつた。大ヒット! 満員御礼! といふイメージあつたので、大変なことになつてゐるかな? と少々怖れながら行つたのだけれど、そこまで混んでをらず、私は前から 2 列目の席を独占して、悠々と鑑賞したのであつた。

 で、映画の方は、なんだか言ふのは野暮のやうな気がして嫌なんだけれど、もちろん最高。この『Vol. 1』の舞台は主に日本なのだが、まづ、そのあまりに正確な「日本」描写に度肝を抜かれる。かつてここまで正確に「日本」が描かれた洋画があつたであらうか。あまりに正確なので、最近のアメリカに洗脳され尽くされた日本人には、どこが「日本」なのかさつぱり分からないであらう、といふくらゐ正確なのだ。特に、エンディングに流れる梶芽衣子の『怨み節』は圧倒的に格好良く、もちろんレコードも持つてゐるので歌へる私は、一緒になつて映画の余韻を噛みしめつつ口ずさんでゐたのだが、後ろの席の若者たちは次々と席をたち、あまつさへそのうちの一人が「これ以上、演歌なんか聴かされたらたまらんわ」と言ひ捨てたので、「こ、この、アメリカに洗脳され尽くされたボケナス野郎が!!?  と怒鳴りさうになつた。とまァ、これくらゐ正確なのであつた。言ふまでもなく、日本は「天皇陛下を中心とした神(々)の国」なのだが、そのやうに正確な姿を描き出すと、何故か怒り出す変な人々が大勢ゐる。さういつた人々にとつて、この『キル・ビル Vol. 1』は、耐へ難いものなのかもしれない。とはいへ、さほど非難が巻き起こつてゐるやうに思へないのは、やはりこれが洋画だからだらう。さういつた人々は、外人には弱いのだ。「ヤレヤレ」。

 ババさんとも話し合つてゐたのだが、この映画の感触は、かなりゴダールの作品に近い。といふか、正に『キル・ビル Vol. 1』はソニマージュである。ただ、そのポップさに於いて、タランティーノの方がゴダールに数等勝る。ある意味で、現代映画の極点を示した作品なのだ…といふ評価が下せるかどうかは、やはり『キル・ビル Vol. 2』を観てからか。とにかく、主演のユマ・サーマンはしびれるほど素敵。それだけで、十分なのではないでせうか(オタク的引用の織物の中にバチグンな女優をいれる、といふやり方も、ゴダール的ですね)

 ドーモ。

小川顕太郎 Original:2003-Nov-5;

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