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 Diary 2003・6月26日(THU.)

マトリックス
リローデッド

 観て参りました、『マトリックス リローデッド』。MOVIX にて。実は、ちよつと遅れてしまいまして、最初の 1 分くらゐ、見逃してゐるんですが、ま、そんなことは全く気にならないほど、どーーーーーーでも、よい映画でした。一言で感想を述べれば。前評判として、といふか、すでに観てきた人たちの感想では、「難しい」「理解できてゐるかどうか自信がない」などといふものが結構多かつたので、お、さうなのか、一作目は虚構内虚構のやうな一見ややこしさうな話ながらも、実はスッキリ単純な話だつたけれども、2 作目はちよつとややこしくしたのかな? と、思ひながら映画に臨んだのですが、…へ? と拍子抜けするくらゐ、単純な話でビックリしました。って、いふか、この映画、理解するとかしないとか、そんな事には関係ない作品ではないでせうか。

 人類をマトリックスに繋いで幻想の世界に生きさせ、そこから養分を得てゐる機械たちと、それに反抗して自由にならうとする人類との闘ひ、といふ、ただそれだけの話ではないですか。もちろん、予言者だとか、自由意志だとか、選択だとか、必然と偶然、原因と結果だとか、なんとなくそれらしーい道具立ては用意してありますが、はつきり言つてそれらはなんら物語の構造に影響を及ぼすものではない。雰囲気を盛り上げるための道具、意地悪に言へば、単なるハッタリに過ぎません。ま、典型的な、オタクの作つた話ですよ。表層的な、それらしい知識だけは持つてゐるので、それで細部にわたるまでそれらしい装飾を凝らす。が、肝心の構造、といふか、本質のやうなものは、非常に単純、あるいは幼稚、といふやつです。

 とはいへ、私はさういつた作品を、頭から否定してゐるのではありません。一作目の『マトリックス』も、さういつた単純な話+オタク的装飾、といふ映画でしたが、なかなか面白かつた。それは、やはり映像表現でせうね。マトリックス、といふ世界を仮構することによつて、それを口実に、数々のスタイリッシュ且つ斬新な映像を見せる。素晴らしい。ぢやあ、この『マトリックス リローデッド』では、その映像表現はどうなのか。…といふと、これが、非常につまらないんですね。もう、ネオ対無数のエージェント・スミス、のシーンでは、あまりの退屈さに、欠伸を噛み殺すのに苦労しました。なにか、根本的に間違つてゐますね。『少林サッカー』の爪の垢でも煎じて飲むべきです。

 とにかく、オタク的ハッタリに幻惑されないで観れば、この映画のつまらなさがはつきりと分かると思ひます。まあ、言つてみれば、この映画は「パナウェーブ」みたいなもんなんですよ。「スカラー波」だとか「ニビル星」だとか、共産主義者による電磁波攻撃だとか、一般人には「訳わからん!」と思はれてゐる「パナウェーブ」ですが、実はこれらの言葉や考へかたは、全てオカルト界では由緒正しい、といふか、有名なものなのです。それらを自分達流に、安易に流用してゐるだけです。だから、オカルト界のことに詳しい人から見れば、パナウェーブの言つてゐることや、やつてゐることは、あまりにも分かり易い、陳腐なことなのです。何の謎もない。(パナウェーブのこの話に関しては、雑誌「新潮 45」7 月号の志水一夫の論考を読んで下さい)同様に、オタク的ハッタリ知識を取り除けば、この映画のストーリーの陳腐さが歴然とします。この『マトリックス』シリーズは、むしろストーリーはどうでも良くて、それを口実に映像表現の素晴らしさを見せるものだと思ひます。で、その映像表現が、この 2 作目では失敗してしまつた。つまり、端的に失敗作→面白くない、と、これで良いのではないでせうか。

 3 作目、完結編は、どうなるのでせうか。

小川顕太郎 Original:2003-Jun-27;