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 Diary 2003・6月19日(WED.)

浅草

 大阪、法善寺横町にある「浅草」といふ店に行く。ここは、てっちり、はも、などでも有名らしいが、我々が食べに来たのは「すっぽん」である。「すっぽん」は、季節に関係なく一年中やつてゐる。暖簾をくぐると、「あー、今日は鱧が切れてしもてー」と言はれたが、我々は鼈を食べに来たので構はない。2 階にあがり、狭い座敷にあがる。

 襖一枚隔てた隣の座敷では、男女がなにやら痴話喧嘩をしてをり、その内容が筒抜け。ありがちなシチュエーションが、一瞬おかしかつたが、やはり、あまり長く聞かされると、うんざりする。途中でやつと帰つていつたのだが、その時に、男の方が○×新聞の人間である事が判明。領収書を書かせてゐたからだ。「すんません、いつも新聞は読ませていただいてゐるんですけど、どうも字が覚えられなくて…」「しゃあないなあ、えーと、お○の○に、月×の×、や」と言つた具合に。うーん、自分の恋人か、愛人か知らないけれど、さういふ相手とのデート代を、経費でおとすなよ。それも周りに筒抜け。投書されまつせ。と、苦笑。二人はヒルトンホテルに向かつたやうだ。

 さて、鼈といへば、トモコが中国で食べた鼈が思ひ出される。それは、大きな容器の中に、鼈がそのままの形で浮いてゐる、といふ代物。その鼈を、箸で突いて崩し、ちぎつて食べるのだ。かなり視覚的に強烈で、トモコは気分が悪くなつたらしい。もちろん日本の鼈鍋はそんな事はない。甲羅、身、内臓、全てがあらかじめ細かくちぎつてあり、原型をとどめてゐない。さらにここのものは、あらかじめ湯通ししてあるので、すぐに食べられる。ぬる燗とともに、鍋をつつく。

 さういへば、座敷なので、当然靴を脱いだ訳だが、私はティンバランドのブーツを履いてゐた。その靴を見た仲居さんが、「いやー、高い靴穿いてはるわー」と言ふので、そんな事はないですよ、と打ち消したものの、「いや、私の息子がこんな靴を履いてゐるので分かるんですよー、これは、高い、いい靴や」と言ふので、まあ、そんなもんか、と思つてゐたら、他のお客さんが帰る時にも、「いやー、お客さん、いい靴やなあー」と言つてゐるのが聞こへてきたので、やはり定番のお世辞であつたか、と苦笑した。かういふのが、全て筒抜けになり、ばれてしまうのである。…しかし、考へてみれば、それが良い所なのかもしれない。全てが開けつぴろげ、といふのではなく、いちおう紙(襖)一枚で区切られてゐるので、聞こへてゐるけれども、聞こへてゐないことにする。といふのは、日本文化の真髄かもしれない。お世辞は、お世辞と分かつて、気持ちよく受け取る。和をもつて尊しとなす。……などと考へながら、鍋をつついてゐたのでした。

 蛇鍋が、食べてみたいなあ。

小川顕太郎 Original:2003-Jun-20;