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 Diary 2003・7月26日(SAT.)

固有名詞

 固有名詞といふのは大切である。キチッと間違ひなく覚えなければならない。例へば、個人の名前。誰だつて、自分の名前をちやんと覚えて貰つてゐれば、嬉しいはずだ。逆に、名前を忘れられてゐたり、間違つて覚えられたりしてゐると、あまりいい気持ちはしないのではないか。島田荘司の産み出した名探偵・御手洗潔は、人の名前を覚えないことで有名であるが、小説の中ではそれが面白かつたとはいふものの、実際には、やはりかういふ人間はダメなのではないだらうか。個人の名前をちやんと覚える、といふことは、その人を尊重することに繋がる。現に、小説のシリーズが進むにつれて、御手洗潔は、自分以外の人間は全く尊重しない嫌な奴にドンドンなつていつた。(まあ、私が読んでゐたのは『龍臥亭』での事件の頃までなので、最近はどうなつてゐるのか知りませんが)

 その他にも、地名や作品名、概念の名など、キチッと覚えるにこしたことはない。固有名は、世界への手がかりになる。何かを見たり、聞いたり、読んだりしてゐる時に、馴染みの固有名は、ガチッと自分を捉へ、そこから世界へと繋がつていくことができる。馴染みがなければ、ただ漫然と時間は過ぎていくだけだ。だから固有名はなるべく多く、正確に覚えるべきだ、といふのが私の持論で、タカハシくんにもさう教えてゐる。なんと言つても、タカハシくんは、ちつとも固有名を知らないのだ。おまけに不正確きわまりない。キチッと覚えやうといふ意識が希薄なのではないか?

 先日私が貸したマンガ『わたしは真悟』のことを、いつまで経つても『ボクは真悟』と言つてゐる。私が映画『チャーリーズ・エンジェル』を観てきたと言へば、「あ、ボクも観ましたよ、『チャイニーズ・エンジェル』」と言ふ。このやうな調子なので、折りにふれて、ちやんと固有名を覚えてゐるか、確かめることにしてゐる。

 タカハシくん、その千円札についてゐる人は誰?

「えー、ナツメソウセキ」

 よし。ぢや、漱石の代表作は?

「えー、『坊ちゃん』」

 ふむ。他には?

「えー、えー、『吾輩は猫だよ』」

 …だよ、って。

 前途多難です。

小川顕太郎 Original:2003-Jul-28;