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 Diary 2003・1月27日(MON.)

無法松の一生

 昨日はしんどくてダウンしてしまつたので、続きを書いてみる。この「無法松の一生」は、公開時と戦後のアメリカによる占領期間に、検閲でフィルムに鋏をいれられてゐる。そのカットされた部分のフィルムを、撮影の宮川一夫が所持してゐたので、今回の上映は京都文化博物館が持つてゐる「無法松の一生」のフィルムに、その宮川氏が所持してゐた部分を挿入した形で行はれた。

 挿入された部分は二カ所あつたのだが、どちらもそこだけサイレント。で、場面から察するに、どちらも GHQ によつてカットされた部分だらう。ひとつは、日露戦争に勝つて国民が大喜びし、提灯行列が出てゐるところ。もうひとつは、何かの祭の場面で、しばらく祭の様子が写つたあと、どこやらの生徒らしき子供たちの集団がふたつ、ひよんな事から喧嘩するまでの、少し長いシーンだ。

 戦後 GHQ がやらうとしたのは、(彼らにとつて)野蛮なアジアの未開部族である日本人を、従順で彼らの言ふ事を素直にきく部族に作り替へるといふことだ。まア、一種の集団洗脳である。そのために柔道や剣道、空手など、全ての武術は禁止され、武力の放棄を謳つた憲法を押しつけた。映画に対する検閲も、そのひとつである。とはいへ、この映画の主人公は、喧嘩っぱやくて無鉄砲な事から「無法松」と呼ばれてゐるのだから、喧嘩のシーンを全て除くわけにはいかない。そこで、集団的な熱狂と戦闘が同居してゐるシーンだけをカットしたのではないか? といふのが私の考へだ。やはり彼らのやうな文明人(?)にとつては、集団的な熱狂に陥る蛮族、といふのが一番恐いのだらう。……などと考へながら観てをりました。

 しかし、まア、この映画の最大のポイントは、無法松が車屋といふ点ではないでせうか。車屋だから、当然のやうに、クルクルと回る車輪が何度も大写しになるんですが、これが美しいんですね。未見の人は、ぜひ映画館で観る事をオススメします。フィルムで観る事を。(いや、ビデオで観ても充分に面白い、傑作なのですが)

 あア、まだまだ頭がフラフラします。

小川顕太郎 Original: 2003;