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 Diary 2003・1月24日(FRI.)

「演歌」のススメ
その2

 では、昨日の続き。

 大正時代に入ると、日本の伝統と無関係な音楽教育を続ける政府のやり方に反発した有志たちによつて、童謡運動が起こされる。雑誌「赤い鳥」がこの運動を唱導した。が、この童謡運動も、歌詞こそ唱歌の教育的過ぎる文語体とは対照的な美しい日本語で書かれたものの、音楽に関しては、唱歌と同じ「ヨナ抜き長音階」のものが多かつた。それを革新し、近代日本の「演歌」を産み出したのが、不世出の天才、本居長世である。

 本居長世は、本居宣長の養子の血筋を引く人で、祖父が大正天皇の待講をつとめたほどの立派な学者一家に生まれ育つた。それ故か、日本の伝統音楽にも詳しく、日本の音楽に伝統的な陰旋・陽旋を取り入れて、曲を作つたのだ。ここに近代日本に於いて初めて、日本の伝統的な旋律と美しい日本語の歌詞を持つた日本独自のうた、「演歌」がうまれたのだ。とはいへ、童謡なのだけれど。ちなみに、長世自身も、童謡の嚆矢=演歌の嚆矢、といふ自作曲は、『十五夜お月さん』である。

 さて、ここに「演歌」は生まれた訳だが、『十五夜お月さん』ではちよつとイメージが…といふ人もゐるだらう。確かに、現在我々が「演歌」と聞いて抱くイメージとは、少し違う。では ? 現在の我々が持つ「演歌」のイメージを作り上げた人は誰なのだらうか。それは、古賀政男である。いはゆる、「古賀メロディー」といふやつだ。古賀政男は、多くの曲を「ヨナ抜き短音階」で作曲してゐる。それに「コブシ」をきかせたモノが、現在の「演歌」に通じる古賀政男スタイルだ。ここで「コブシ」について説明してをくと、「コブシ」とは「小節」と書き、西洋発の五線譜には書き表せない微妙な節回しのことである。一般には「コブシをまわす」とよく言ふが、「コブシ」とは、まわすだけのものではない。揺すつたり、捨てたり、そつたり、すかしたり、あてたりする。これが、日本的な歌唱法といふものなのださうだ。

 私は、「演歌サバイバーズ」に於いて、拙いながらも一生懸命「演歌」を歌つてきたが、「コブシ」を顧慮した事はなかつた。どうやればよいか分からないし、最初から自分には無理と決めつけてゐたからだ。それが、そんな事ではいかん! と俄然思ふやうになつた。日本の歌は、日本の歌唱法で歌はなければ、ならない。でも、どうやれば良いのだらう? 誰か、教へてくれないだらうか。

「演歌サバイバーズ」の探求は続く。

小川顕太郎 Original: 2003;