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 Diary 2003・1月16日(THU.)

ブレッド & ローズ

 朝日シネマにケン・ローチ監督『ブレッド & ローズ』を観に行く。劇場に着くと、イワサキくんが来てゐた。はつさくさんも来てゐる。他にも知つてゐる顔がチラホラと。私とトモコは最前列に席を占めた。

 凄い。やはりケン・ローチは凄いよ。酷い環境で搾取されてゐる LA のビル清掃員達が、民主党系の運動員にオルグされて労働運動を始め、勝利を勝ち取るまでが、丁寧に描かれる。まるで左翼の大衆運動の絵解きのやうな作品だが、ケン・ローチの凄いところは、かくも一見図式的な構図を持つ作品でありながら、一級のエンタテインメントに仕上げてゐるところだ。「娯楽超大作」と銘打ちながら、ちつとも楽しめない作品が多いなか、これは凄いことだと思ふ。

 ケン・ローチの全作品に共通する事だが、ケン・ローチは、常に下層の人達に目線を合はせ、彼(女)らの事を実に丁寧に描く。そこには、圧倒的な共感が込められてゐる。このケン・ローチの視線・思ひが、バリバリの左翼でありながら、彼の映画を左翼イデオロギーから自由にしてゐるのだと思ふ。私は民主党系の運動員など嫌いだし、労働運動をすすめる主人公のマヤ達に対しても、それほどの共感は出来ない。どちらかといふと、マヤ達の運動に徹底的に懐疑的な、マヤの姉のローサに近い立場だ。が、それでも、ケン・ローチによつて描かれたマヤや民主党系の運動員のサムの存在には、頷いてしまう。様々な問題点はあるにせよ、彼・彼女らには、こうであるしかない、といふ存在感があり、それは肯定せざるを得ないものだ。これが、ケン・ローチの凄いところだと思ふのだ。

 考へてみれば、虐げられた人々への共感といふのは、左右を問はず、大衆運動の基本のはずだ。(日本近代最大の右翼革命運動であつた 226 事件が、虐げられた東北の農民達への共感から始まつた事を思いださう)また、映画といふ大衆芸術の基本も、実はそこにあるのではないのか? それ故に、ケン・ローチの作品は、常に古典の香りを放つてゐるのではないのだらうか? そのやうな事まで考へさせられた。

 今年最初の映画がケン・ローチでよかつた。今年はよい映画がたくさん観られますやうに。(…あ! 今年最初の映画は『狂つた一頁』だつた! まア、それでもよいか)

小川顕太郎 Original: 2003;