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 Diary 2003・12月21日(SUN.)

ラスト サムライ

 MOVIX にて『ラスト サムライ』を観る。時は明治が始まつたばかりの頃、列強からの侵略を防ぐべく近代化を急ぐ日本政府は、近代軍隊を育てるための御雇ひ外国人として、アメリカからネイサン・オルグレン(トム・クルーズ)を雇ひ入れた。オルグレンは、多数の原住民(ネイティブ・アメリカン、いはゆるインディアン)を討伐して勇名を轟かせた軍の大尉であつた事から、明治新政府に楯突く叛乱士族の討伐にもちやうど良い、と思はれたのであつた。しかし、実際のオルグレンは原住民討伐に疑問を持つてをり、その討伐戦をトラウマとして、心を病んでゐた。そんな彼であつたが、命令で仕方なく叛乱士族の討伐に向かう。が、逆に捕まつてしまうのだ。なかば以上ヤケッパチのオルグレン。が、捕虜生活を営んでゐるうちに、この叛乱士族たち、今や滅びんとしてゐるサムライたちに惹かれていき、自らもサムライたちの側にたつ事によつて、自分自身を取り戻していくのであつた…。

 とまァ、このやうな話なのです。無論、史実には基づいてゐません。多分、西南戦争のことを参考にはしてゐるのだらうけれど、参考程度で、全く関係ない話、と思つてかまはないでせう。それにしても、これは、何と言ふか…。

 西洋人から見た日本、といふ視点からは、何カ所か面白いところはあります。まづ明治天皇が出るシーン全て。これは一見の価値あり。なかなか日本人では、かうは撮れないでせう。特にラストシーンは最高で、これについては別に一項を構へて書きたい感ぢだ。それから、渡辺謙が死ぬところ、サムライたちの里の様子、真田広之の化粧、など。しかし、これらを見てゐて私が痛切に思つたのは、やはり我々は彼ら西洋人から見ればインディアンなのだなァ、といふ事だ。つまり、「東インド会社」の管轄する地域に日本は含まれる、といふ事である。サムライたちの描き方が、ほとんどアメリカインディアンの描かれ方と同じなのだ。それも、良心的白人によるアメリカインディアン(良心的白人はネイティブ・アメリカンと呼びますが)の描き方に。それは、高貴なる野蛮人、といふ描かれ方である。

 別に、「高貴なる野蛮人」が悪い、と言つてゐる訳ではない。実像とは食ひ違おうと、さういふ風にサムライを描くやり方もあるだらう。ただ、あまりにもこの紋切り型のイメージに頼りすぎて、話が、人物が、薄つぺらに過ぎるのだ。どうにもサムライたちに魅力がない。また、これは同じ事の裏表だが、悪役にも魅力がない。話にも深みがなくて、良心的白人による(トム・クルーズによる?)ナルシスティックな癒し話に思へて仕方がない。うーん、もうちよつと、何とかならなかつたのか。このやうに、個人的には首を傾げざるを得ない映画なのだが、評価しない訳でもない。それは、この時期に、といふのはイラク戦争の時期に、高貴なる野蛮人を称へるやうな映画を撮つた、といふ事だ。高貴なる野蛮人とは、アジア人のこと。ネイティブ・アメリカン、(昔の?)日本人、イラクやイランの人たちの事だ。圧倒的・非人間的な近代兵器に対して、弓や刀で、素手や石で、自爆テロやインティファーダで立ち向かう、高貴で野蛮なひとたち。むむむ、泣かせる。

 が、それにしても、もうちつとなんとかならなかつたのかなァー。惜しい。

小川顕太郎 Original:2003-Dec-23;

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