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 Diary 2003・8月31日(SUN.)

陰摩羅鬼の瑕

 京極夏彦の京極堂シリーズ新作『陰摩羅鬼の瑕』を読了。……むむむ、こ、これは、駄目、でせう。京極夏彦、一体どうしちやつたの? と言ひたくなるほど、面白くない作品であつた。個人的には、手抜きとしか思へない。京極堂シリーズは、京極夏彦の著作群の中でも中心をなすシリーズだらうに、さらに言ふなら満を持しての久々の作品なのに、こんな手抜きのやうな作品を書いてよいものだらうか。ファンとして、一言苦言を呈したくなつてしまつた。

 実を言ふと、私は最近の京極夏彦の作品はあまり読んでゐない。少し飽き気味、といふか、京極夏彦の手妻が見えてしまつたといふか。このことは、京極夏彦の作品全体にも言へることなのだが、京極堂シリーズに関しても言へる。京極堂シリーズは、一般的には第 5 作目『絡新婦の理』が今のところの最高傑作とされてゐるやうだけれど、もちろん私も『絡新婦の理』は面白かつたとはいへ、少々京極夏彦の手妻が見えてしまつたこともあり、個人的な感想を言へば、その前作『鉄鼠の檻』の方が面白かつた。だから、『絡新婦の理』を読んだ時に、「京極夏彦、次回が勝負だな」と思つたものである。もう、同じ手では限界だらう、と考へたのだ。

 で、『絡新婦の理』の次作、『塗仏の宴』、ドキドキしながら読んだのだが、これが良かつた! 趣向を変へてきたのだ。冒険活劇風な話になつてゐて、キャラも充分すぎる程たつてゐる訳だから、とても面白かつた。なるほど、さすがは京極夏彦、この手で来たか、と感心することしきりで、これは次回作も期待だ! と、喜んでゐたのだが…。

 なんだ、今回の作品は。恐ろしく退歩してゐる。はつきり言ふが、読み始めてすぐに、話が全て見えてしまつた。ミステリーといふものは、特に謎解きをしてやらうと身構へてゐる読者ぢやなくても、読み始めてしばらくすると、事件の全体像が見えてくるやうに仕掛けてあることが多い。そして、まあ、その全体像は覆されるのが普通だ。以前の京極作品でも、最初の全体像は 2 転、3 転して、思はぬ所から目も綾な空中楼閣然とした真相が立ち上がる、と言つた感ぢで素晴らしかつたのだけれど、今回は、最初の全体像のまま。これは、酷くないか。私が考へるに、これはアイデア的にも内容的にも、短編である。それを、むりやり長く長く長ーく引き延ばしてゐるやうに思ふ。だから、文章を読んでゐてカッタルクテ仕方がなかつた。私が、手抜き、といふのは、このやうな理由による。

 さらに、一言。色の白いのは七難隠す、といふが、これまでは話があまりに面白かつたので、そこまで気にならなかつたのだが、今回は文章の下手さ加減が鼻についた。もともと京極夏彦は文章が上手い方ではないが、これまでの文章には、それでも「気」が入つてゐて、それはそれで良かつた。よく練られてゐたし。が、今回は、「気」が抜けまくつてゐて、ちよつと鼻につく。言葉の誤用もある。例へば 569 ページ上段、「流れに棹さしてみても無駄で、遡ることなど出来はしない。」とある。…これ、「流れに棹さす」の意味を逆に使つてゐるでせう。よくある間違ひのひとつだとは言へ、物書きが間違つてはならない間違ひのひとつでもある。だつて夏目漱石『草枕』の有名な冒頭ぢやないか。「…智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。…」

 なんだか随分きついことを書いてしまつたやうな気がするが、これもすべて期待の大きさ故、といふことで。読了直後でいささか八つ当たり気味、といふ事情もある。京極堂シリーズの次作に期待します。

小川顕太郎 Original:2003-Sep-2;