京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

Home > Diary > 03 > 0425
 Diary 2003・4月25日(FRI.)

カサブランカ 前編

 うーんと、今日は書くことがないので、先日ビデオで観た映画『カサブランカ』(1943 年)について書いてみやうと思ひます。

 私は恥ずかしながら、この映画史に残る名作を、先日初めて観ました。そして、色々と考へる所があつたのですが、まづ私が声を大にして言ひたいのは、これは紛れもなくボギーの映画だ、といふ事です。断じて、イングリット・バーグマンの映画ではありません。それなのに、この映画は、私の通つてゐるレンタルビデオ屋で、バーグマンのコーナーに置いてあり、ボギーのコーナーにはない。困つたものです。ボギー、人気ないんでせうか。まあ、とにかく、何故に私がこの映画をわざわざ「ボギーの映画」だと言ひ募るのか、これから説明いたします。

 まづ、この映画は、どのやうな映画なのか。もしかしたら、ボギーとバーグマンの恋愛もの、といふやうな理解がなされてゐるかもしれませんが、それはあまりに表面的な解釈でせう。ちよつと深く観てみれば、これは間違ひなくプロパガンダ映画です。公開された時期も 1943 年と戦時中だし、ナチスドイツに対する敵対心を高め、愛国心を煽るやうに作られた作品です。映画のラストも、表面上は、ボギーが、相思相愛の仲であるバーグマンを、彼女の夫であるレジスタンス活動の大物のところに返し、自分は二人を逃がすためにドイツ人将校を殺し、うじうじと過去の悲恋に悩む自分と決別して、レジスタンス活動に自ら身を投じるであらう事が暗示される、といふ風になつてゐます。つまり、今は国の危機だから、個人的な事情(恋愛など)はさておいて、国のために闘おう! といふメッセージが込められてゐるのです。さうした方が、ハードボイルドで格好いいぜ、といふメッセージが。

 しかし、私の観るところ、ボギーは常にこのメッセージへの抵抗を示してゐます。それは最後のシーンにおいても、さうなのです。ボギーは別に、自らの個人主義(恋愛)を捨てて、大義(レジスタンス活動)をとつた訳ではありません。端的に、バーグマンを捨てただけです。その理由はもちろん、バーグマンに愛想を尽かしたからでせう。バーグマンは一度ボギーを捨ててゐます。何故か。それは、レジスタンス活動中に死んだと思つてゐた夫が、生きて戻つてきたからです。つまりはボギーよりも夫の方が好きだつたから。といふのなら、実はボギーも納得したでせう。ところが、さうではないとバーグマンは言ふのです。バーグマン自身も、レジスタンスの活動家なのですが、バーグマンは自分の夫を、レジスタンスの闘士として尊敬してゐる、と言ひます。そして、その彼が、レジスタンス活動中に死にかけてゐるのに、それを見捨てることはできなかつた、と言ふのです。だからボギーを捨てた、と。さらに、バーグマンはこういつた事情をボギーに一切説明しません。ボギーを危険に巻き込みたくなかつたから、と言い訳しますが、何の説明もなく、結婚の約束を信じて待つボギーを雨の中に放り出しておいたのです。なんとも酷い話ではないですか。そして、はたまたさらに、最後にはやはりボギーのことを愛してゐると言ひ、夫だけ逃がして、自分はボギーと共にカサブランカに残る、と言ひ出す始末です。なんとも都合の良い話ぢやないですか。

 長くなりさうなので、続きはまた明日

小川顕太郎 Original:2003-Apr-27;