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 Diary 2003・4月19日(SAT.)

花見も終わり

 今日は雨。鬱陶しいが、一日中雨で、且つ暑い。昨日からとても暑くて、私もいきなり半袖だ。窓の外の雨を眺めながら、今年の花見も完全に終わりだな、と思ふ。

 私が一年を通して最も嫌ひな行事は、なんといつてもクリスマスである。あれは耶蘇の祭であつて我々には関係ない…と言ふのは後付の理屈であつて、とにかくまづ、あの雰囲気が嫌だ。耐へ難い。サンタクロースが子供にプレゼントを届ける、といふだけならまだしも、恋人たちのための特別な一夜、といふ感じになつてゐるのが酷い。

 アホか、と思ふ。故にオパールではクリスマスは一切無視してをり、もしかして商売上マイナスなのかもしれないが、あの雰囲気で店を汚されるくらゐなら、少々のマイナスは仕方がない、と考へてゐる。さういへば、古谷実のマンガ『ヒミズ』で、特別なことを嫌い、ひたすら「普通」を目指してゐる主人公が、それでもクリスマスだけは耐へ難い、と言ふ場面があつて、あまりにもその感覚が分かりすぎ、思はず苦笑してしまつたのを覚えてゐる。

 さて、これに対して、花見は素晴らしい。花見は世界に誇りうる日本独自の行事だから…といふのは、これまた後付の理屈であつて、なによりあの雰囲気がいいのだ。

 もちろん、あまりに大量の人出や、杯盤狼藉の過ぎたる乱痴気騒ぎや、ヤンキーの跋扈には、うんざりしない事もないけれど、初詣と並んで、あの胸を騒がせる雰囲気がいい。多分、日本のクリスマスは、恋人たちの世界にと狭く閉ぢてゐるのが気持ち悪いのだ。対して、花見は大きく開かれてゐる。花見の特徴は「貴賤群集」だとはよく言はれる事だが、要するに、貴賤老若男女を問はず、多くの人がたくさんの桜が咲き誇つてゐる所に群れ集ひ、飲み食ひ騒ぐ。それは、たとへ出掛けるのは数人の仲間たちとであつても、多くの人たちとともに騒ぐ(その中に自分を投じる)といふのが肝要なのだ。そして、花見は日本の文芸の世界にも通じてゐる。日本の文芸は、多くを花見の宴に負ふてゐる。だから我々は、花見に参加することにより、まづ多くに人たちの間に自分を解放し、その後、日本の文芸の世界へ、日本の伝統世界へと、自らを解き放つのだ。これが、遊蕩であり、悦楽である。まあ、酒飲んで騒いでゐるだけなんですが。

 来年の花見が待ち遠しい。

小川顕太郎 Original:2003-Apr-21;